寝れなくて、ボーッと考え事してたので文章に興しておこうと思う。
久々に書くな。
まず、幸福とはなんであろうか。
『幸福』満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま。しあわせ。
だそうだ。
ともすると、人が幸福だと感じるのは具体的にどういうときであろうか。
他人から感謝されたとき。
好きな人といるとき。
友人と他愛もない会話をしているとき。
もしくは、綺麗な花を見つけたときや、四つ葉のクローバーを見つけたときなんかでも感情が満たされ、『幸福』という状態になるかもしれない。
では、私の場合はどうか。
少なくとも上述した内容で心が満たされることはない。
仮に満たされたとしても、その満足感は一瞬で消え、次の瞬間には『幸福』なんてものがあったかどうかすら忘れている状態になる。
では、私が『幸福』だと感じるときは、一体、どのようなときであろうか。
思うに、私にとっての『幸福』とは、『結果』である。
例えば、私が誰かにテスト前に勉強を教えていたとする。
そして、相手は私が教えたことによって、テストで高得点をとる。
この場合の相手が高得点をとったという『結果』こそが私の感情を満たすことになる。
人によっては、自分がした行為に対して、相手方の感謝があってはじめて満足感を得ることであろう。
しかし、私は感謝の言葉が必要だとは思わない。
感謝されて私の多少の優越感が満たされたところで、社会的価値観から見たら、そんなものは塵に等しい。
必要なのは『結果』である。
もし、結果がでなければ、私のした行動は無意味になるし、求めてきてくれた相手にも無駄な時間を割いてしまったことになる。
つまり、自身が他者に求められていることは『行為』ではなく、『結果』である。
自身がしたことについて、なんらかの『結果』が生まれたときにはじめて、『幸福』というもの味わえる。
周囲の人間からは、「それでは報われない」だとか、「そんなことで生きてて楽しいのか」とか言われたりするが
他者に感謝をされなければ満足感を得られないような行動はただのエゴであるのではないかと考える。
そんなことで、不平不満が出てしまうことの方が、『幸福』になる機会を失うのではないか。
正直、私は、他人、もしくは自身の感情なんてものの価値は無に等しいとさえ思っている。
誰が何を思っていようが、そんなことはどうでもいい。
その感情に基づいて行った行動によって起こった『結果』にこそ、価値があると考える。
その起こった『結果』に私が関連し、かつ、『結果』の影響が社会的に大きければ大きいほど、私の『幸福』を満たすことになる。
他人から見たら、『自己中』だと思うものもいるかもしれない。
しかし、こういう人間は、使いようによっては従順な奴隷として傍に仕える。
私とは、そういう人間である。
皆様が思う、『幸福』とはどのようなものか。
もう一度、振り替えって考えてみると、自分の今したいことや、自分がどのような人間なのかを見つめ直すことができるかもしれない。
以上。
とまぁ、長々と書きましたが
別に病んでるわけじゃないですww
志望動機やら自分のしたいことやらボーッと考えてたら、いつの間にかこんなこと考えていました。
徒然なるままに書いたから文章構成メチャクチャだし、何言いたいのかわからんくなったww
こういう感情的なことについてグチグチ言ってると
また西谷に「理屈っぽい」って言われるww
なので、最後は直情的に
今思っていることを素直にそのまま文章におこしてみよう。
ゆきりいいいいいいいん!
写真集早くほしいよおおおおおお!
ゆきりんハァハァ(´Д`*)
申し訳ございませんでしたorz←土下座
Android携帯からの投稿
久々に書くな。
まず、幸福とはなんであろうか。
『幸福』満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま。しあわせ。
だそうだ。
ともすると、人が幸福だと感じるのは具体的にどういうときであろうか。
他人から感謝されたとき。
好きな人といるとき。
友人と他愛もない会話をしているとき。
もしくは、綺麗な花を見つけたときや、四つ葉のクローバーを見つけたときなんかでも感情が満たされ、『幸福』という状態になるかもしれない。
では、私の場合はどうか。
少なくとも上述した内容で心が満たされることはない。
仮に満たされたとしても、その満足感は一瞬で消え、次の瞬間には『幸福』なんてものがあったかどうかすら忘れている状態になる。
では、私が『幸福』だと感じるときは、一体、どのようなときであろうか。
思うに、私にとっての『幸福』とは、『結果』である。
例えば、私が誰かにテスト前に勉強を教えていたとする。
そして、相手は私が教えたことによって、テストで高得点をとる。
この場合の相手が高得点をとったという『結果』こそが私の感情を満たすことになる。
人によっては、自分がした行為に対して、相手方の感謝があってはじめて満足感を得ることであろう。
しかし、私は感謝の言葉が必要だとは思わない。
感謝されて私の多少の優越感が満たされたところで、社会的価値観から見たら、そんなものは塵に等しい。
必要なのは『結果』である。
もし、結果がでなければ、私のした行動は無意味になるし、求めてきてくれた相手にも無駄な時間を割いてしまったことになる。
つまり、自身が他者に求められていることは『行為』ではなく、『結果』である。
自身がしたことについて、なんらかの『結果』が生まれたときにはじめて、『幸福』というもの味わえる。
周囲の人間からは、「それでは報われない」だとか、「そんなことで生きてて楽しいのか」とか言われたりするが
他者に感謝をされなければ満足感を得られないような行動はただのエゴであるのではないかと考える。
そんなことで、不平不満が出てしまうことの方が、『幸福』になる機会を失うのではないか。
正直、私は、他人、もしくは自身の感情なんてものの価値は無に等しいとさえ思っている。
誰が何を思っていようが、そんなことはどうでもいい。
その感情に基づいて行った行動によって起こった『結果』にこそ、価値があると考える。
その起こった『結果』に私が関連し、かつ、『結果』の影響が社会的に大きければ大きいほど、私の『幸福』を満たすことになる。
他人から見たら、『自己中』だと思うものもいるかもしれない。
しかし、こういう人間は、使いようによっては従順な奴隷として傍に仕える。
私とは、そういう人間である。
皆様が思う、『幸福』とはどのようなものか。
もう一度、振り替えって考えてみると、自分の今したいことや、自分がどのような人間なのかを見つめ直すことができるかもしれない。
以上。
とまぁ、長々と書きましたが
別に病んでるわけじゃないですww
志望動機やら自分のしたいことやらボーッと考えてたら、いつの間にかこんなこと考えていました。
徒然なるままに書いたから文章構成メチャクチャだし、何言いたいのかわからんくなったww
こういう感情的なことについてグチグチ言ってると
また西谷に「理屈っぽい」って言われるww
なので、最後は直情的に
今思っていることを素直にそのまま文章におこしてみよう。
ゆきりいいいいいいいん!
写真集早くほしいよおおおおおお!
ゆきりんハァハァ(´Д`*)
申し訳ございませんでしたorz←土下座
Android携帯からの投稿




