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自然に自分が愛しく感じるセルフヒーリングアート講師~みちるです![]()
※ こちらは現在、アメブロの「プロフィール」ページと同じ内容です
※生育歴からこれまでの自己紹介です。もう1つのプロフィール「私の原点~胎児の時の記憶~」は、テーマ●ごあいさつ にあります。
私が生まれたのは港のある温暖な地方、両親・祖母・兄・私の5人家族で育ち、小2で両親が離婚、小3で父が再婚し、弟・妹が生まれ7人家族になりました。
兄弟妹とは仲が良かったけれど、人生全般において1人でいる事を好みました。
(数年前に退行催眠で、幼児期に「私はひとりでいる」と決めていた事が判明し納得!心理学のセッションで潜在意識の書き換えをしました)
中学以降は、感情が爆発してキレそうになる事が多々あり、でも絶対に口には出さず必死でこらえていました。
(「キレる」というのは、「怒り」の感情ではなく、他の感情が抑えきれないほどに抑圧されているものが表出しています。
詳細については、ここでは控えます。)
高1で実母と再会。
母は嬉しそうでずっと笑顔だったけど「この人は自分の事しか考えていない。私の事を何一つ聞こうともしない!」と内心ブチ切れ実母を恨むようになりました。
30歳頃に母から、離婚の原因は父にあり、母が子供を引き取って離婚のはずが父が会う事すら許さなかったと聞きました。
高3の時、ダイエットの末に摂食障害を発症。毎日過食嘔吐、下剤の多量摂取、完治したのは18年後でした。
高校卒業後、東京の服飾専門学校へ。
19歳、貧血で倒れ顔を大怪我、自分の顔が嫌いだったから顔に傷が残った事が嬉しかったのを覚えています。
専門学校は半年通い半年引きこもりを4年繰り返し中退。
帰郷して1人暮らし、輸入雑貨店の仕事を半年で退職。
引きこもりと過食嘔吐の日々が半年以上続き、1週間の完全不眠の末、半ば強制的に精神病院へ入院となりました。
実母が担当医から「このまま薬づけで一生入退院を繰り返して、一生まともに働く事はできない、重度の鬱病」と言われました。
1ヶ月後、私が退院したいと実母に言い、そのまま半ば強制的に退院、実母と継父と暮らし始めました。
その後担当医からセクハラのような対応があり激怒して、もう通院しない!薬もやめる!と決断。
それを聞いた母は喜んで笑っていたけど、私の激怒や身に起こった事に対して共感がなく、母が裏で仕組んだのではないかと疑ってしまう程に憤慨。ケースワーカーの女性が親身に接してくれて、母に対しては何とか心をおさめました。
(この件は後年母と和解していて、高1からの母への恨みも解消しています)
退院した当時は、薬でトイレの感覚(尿意便意)もわからないほど感覚が麻痺していたり、薬を飲んでいるのに時折発狂しそうになる衝動を必死でこらえたりしていましたが、半年後には健常者として短期パートで働き始めました。
再び一人暮らしを始めるも転職と引きこもりを繰り返し過食嘔吐の日々。
ある御縁から神や真理に関心をもちスピリチュアルを学び始め、マクロビオテックの食養の先生にもお世話になりました。
そして36歳のある日、一大決心をしました。
「本当に生きたい私の人生を生きる。私はその為に生まれて今まで生きてきたんだ!」
直後から数時間、一人ベッドの中でガタガタと震えていました。もの凄く怖かった。
翌日、不思議と過食も嘔吐もする気にならず、自然と過食嘔吐ができなくなり摂食障害が完治しました。
40歳を前に、ある人との関係で失望し精神状態は恨みつらみで最悪、原因不明の激痛で普通に歩く事ができない状態が3年程続きましたが、その間に大好きなロックバンドと出逢い毎日音楽に支えられて救われました。
でも現実は日に日に苦しくなり鬱病が再発。
このままでは無意識に自死してしまう、どうにかしなければと心理学を調べ、藁にもすがる思いで『ビリーフチェンジ・プロセラピスト養成講座』を受講し、認定資格を取得しました。
もっとも強かった『存在してはいけない』というリミッティング・ビリーフ(制限を作り出す思い込み)と、その他いくつかのリミッティング・ビリーフがゆるみ、鬱やパニック障害も回復、でも何か根本的な所がまだな感じがしていました。
その後『オーガズミックバース』という映画を知ったのがきっかけで、『自分の性別であってはいけない』というリミッティング・ビリーフ(制限を作り出す思い込み)に気付き驚愕!
男性から女性として意識される事を完全に拒絶していたのです。
ビリーフチェンジ関連の継続セッションを受けた後、女性性・男性性・パートナーシップを学び始めセミナーや個人レッスンなど受講しました。
心理学脳科学を学び続ける中、言葉を扱う事に疲れ自身の言葉の限界を感じていた頃、いくつかのきっかけがあり、専門学校以来 25年も拒絶してきた絵を描きたいという衝動にかられ、アルコールインクアートを始めました。
2ヶ月後、ヒーリングアートの梅邑先生の3日間無料講座があり気になって受講。3日目、考えるより先に体が動き説明会へ申込みました。
「私がやりたかった事はこれだ、セルフヒーリングアート!」
体験会で初めて描いた『はじまるアート』では内側からわいてくるエネルギーが絵となって表れました。
『ヒーリングアートセラピーⓇ講座』を受講し、最後のカリキュラムアートで、それまで表に出てこれなかった大切なインナーチャイルドの1人に出会いました。
小2の私。祖母から突然「お母さんはもう帰ってこないよ」と聞かされたあの時。
私は全てを凍り付かせ、何事もなかったかのように何も感じず、全てを封印した。
その時の私に、この時やっと出会えたのです。
小2の私がとても絵を描きたいんだ、この子がヒーリングアートに導いてくれたんだ、だから気になってたんだ、全てが繋がりました。
小さな頃、人目を気にせず、好きなように好きなだけ絵を描いていた、あの頃のように童心にかえって、自分の為に絵を描く純粋な喜び。
様々な経験をして乗り越えてきた、過去も含めたその時々の自分を「絵」として形に残す事ができる喜び。
時には変な絵になったりしても、描いていく事で自然に自分が愛しく感じてくる、私にとって大切なセルフヒーリングの一つとなりました。
絵が苦手でもできるヒーリングアートセラピーⓇの講師として、ご縁を頂いた方々が自然に自分を愛しく感じられるよう、自己愛が深まるお手伝いをさせて頂きたいと思っています。
2021年4月24日
素賀みちる
★もう1つのプロフィール「私の原点~胎児の時の記憶~」は、こちらからご覧くださいませ![]()
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★ ヒーリングアートセラピーⓇ講座で描いた、カリキュラムアートの一部と、認定証(インストラクター&講師)です
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