高校3年の半ばから始めた「過食嘔吐」
自然と嘔吐が出来なくなり、そして過食の衝動も自然に無くなっていったのは、
18年後でした。
もう忘れてしまったけれど、ある時、『決断』をしたのです。
それは、
私は、本当は、愛する人と愛し合って結ばれて、結婚して、子供がいてあたたかい家庭を築きたい。
私が本当に生きたい人生は、それしかない。
・・・本当にそれしかない!
私はその為に今まで、生きてきたの!!
生きてきたの!!!!!
それまで幾度となくこの想いを胸に秘め、どうにかここまで生きてきたけれど、
この時のは、まさに『決断』でした。
恐くて怖くてたまらなかった。
本当に自分が望んでいる事を、それに向かって「生き直す」のが
こんなにも恐ろしい事だと、この時初めて体感しました。
誰もいない部屋で一人
身体の内側から全身が震えていた。
とても声なんて出せない、
でも
強く、強く思っていた
私はその為に生きてきたんだ!!って。
自分が幸せに生きる事を選択するのが、こんなにも恐い事だとは思ってもみなかった。
以前ある本で、自分の本当の人生を、『使命を生きる』決断をした女性が、そのとき武者震いがしてもの凄い感覚だったと読んだ事があったのですが、私の場合はその方のように使命とかではないけど、自分の人生『生き方』を変える・変わる時って、こんなにも恐ろしくて全身で恐さを感じるものなんだと実感しました。
その決断をした後、その事でまた恐怖を感じるような事はなく、今思えば、少しずつ心は軽くなり、無理をしなくても自分を大切に出来るように、だんだんとなっていって、だから自然と嘔吐が出来なくなり、同時に過食自体も減っていって、過食も嘔吐もしない状態が、とても自然でした。ほんとうに、何か憑き物が取れたような・・・ 今までの過食嘔吐は何だったんだ!? なんであんな(自分をいじめ傷つけるような)事しなきゃならなかったんだろう・・・? って思えてしまうくらい別人になったようでした (^^)
私の場合、この時の決断『本当に生きたい私の幸せな人生』は、小学生高学年くらいからの望みで、(この世に、たった一人、私にぴったりの男性がいるはず、まるでアダムとイヴみたいな、そんな男の人が「一人」いるはずだ、その人以外はあり得ない)って、
誰にも言った事がなかったけど、ずーーーっと密かに想っていた事で、それまでに幾度となくこの望みを最後の支えにして生きて来ていたのです。
そして、その自分の望みを本当の意味で自分が受け入れ、その望みが叶う事を自分に許可する事、そういう人生を生きる事を覚悟する事が出来た”時”、自分を大切にする自分、過食嘔吐をしなくてもよい自分に徐々になっていったのだと思います。
それから8年ほど、過食嘔吐のあの抗えない衝動のようなものを感じる事もなく、再発しませんでした。
(食欲不振や過食気味はありますが、摂食障害の時のような感覚とは違い、日常生活に支障があるような摂食障害の症状は出ませんでした)
もうすぐ44歳になろうというある日、突如あの”感覚”が戻ってくるまでは。
ただ、実際に摂食障害と呼ばれる症状には至っておらず、あの”感覚”だけで再発はしていません。
なぜ、再発寸前に陥ってしまったのか、それは、過食嘔吐を出来なくなった”きっかけ”の
『私の本当に生きたい人生』が、いまだに叶っていなかった。
あろうことか、逆に遠ざかっているような? 人生になってしまっていたからです。
ただそのお陰で、もう一度”自分”という人間を、心理学や脳科学、スピリチュアル、多方面から見つめなおす機会を得ました。
話がそれるのでこの話はまた別の機会にしますが、この記事を書いている現在、『私の本当に生きたい人生』は以前と変わっていません。それにプラスされた形でただ今継続中です (^^)
ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました <(_ _)>
あなたが、あなたの本当に生きたい人生に向かって生きれている事を祈っています☆彡
2019年2月24日