文学レビューpart8 | 旅烏 夜を追いかけて 朝を背に

文学レビューpart8

旅日記の途中ですが、最近読んだ本が面白かったので、

久しぶりにレビューしようと思います。


砂の城 (新潮文庫 (え-1-12))砂の城 (新潮文庫 (え-1-12))
遠藤 周作

新潮社 1979-12
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人は、目の前に複数の選択肢を並べられたとき、自分で美しい・善いと思える方を選択する。その選択を積み重ねたのが、その人の人生。――では何が美しいのか。何が善いのか。
自分の欲望に素直なことが美しいのか。自己犠牲で他者に献身することが美しいのか。周りの迷惑を顧みらず、己の思想を貫くことが美しいのか。美意識――いうなれば価値観。その人に宿る価値観が、その人の人生を牽引する。
この『砂の城』という小説。かつては手を取り合った若者たちが、時の流れと社会の波に揉まれながら、それぞれ異なった価値観を形成していき、疎遠になっていくという、やや悲劇的なストーリーになっている。
主人公の早良泰子は十六歳の誕生日に、娘の出産と引き換えに命を落とした母親から、十六歳の自分に充てられた手紙を父親に手渡される。その手紙には「この世のなかには人が何と言おうと、美しいもの、けだかいものがあって、母さんの時代に生きた者にはそれが生きる上でどんなに尊いかが、しみじみとわかったのです。あなたはこれから、どのような人生を送るかしれませんが、その美しいものと、けだかいものへの憧れだけは失わないでほしいの」と書かれていた。
美しいもの――けだかいもの――。わたしの周りには、世界の変革のために旧来の絆を断った友人がいる。己の献身的な愛のために犯罪に手を染めた友人がいる。彼・彼女は、自分がしたことに微塵も後ろめたさを感じておらず、むしろ、誇りすら感じている。彼らは、自分が考える尊いものを追い求めた。けだかいものに手を伸ばした。はたして彼らは美しいのだろうか。彼らが美しいのだとしたら、わたしは醜いのだろうか。
努力で掴んだはずの幸福さえも疑い始めた主人公は、物語の最期に、とある人物と出会う。
「美しいものと善いものに絶望しないでください――。――人間の歴史は……ある目的に向かって進んでいる筈ですよ。外目にはそれが永遠に足ぶみしているように見えますが、ゆっくりと、大きな流れのなかで一つの目標に向かって進んでいる筈ですよ」
「目標? それは何でしょうか?」
「人間がつくりだす善きことと、美しきことの結集です」

”悲しみ”を知ったクリスチャン作家が、港町長崎を舞台に描く青春文学。『沈黙』、『深い河』などの重々しい純文学とはうって変わって、読後は心に爽やかな風が吹く。




壁 (新潮文庫)壁 (新潮文庫)
安部 公房

新潮社 1969-05
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やってくれました、安部公房。
僕は以前まで、安部公房の作品をあまり好きになれなかった。……とは言っても、僕は『砂の女』と『箱男』の二作しか読んでおらず、彼の作風の好き嫌いを判断する材料があまりに乏しいのは百も承知なのだが、二作目に読んだ『箱男』の内容があまりに難解すぎて、僕には理解し得なかったので、次に読もうと思っていた『壁』も、半ば食わず嫌い的な意識から敬遠していたのである。
しかし、少々の覚悟を持って、いざ読み進めてみると……ん?……んん?……おもしろい……。おもしろすぎる!何だこれは!『砂の女』とも違い、『箱男』ともまったく違う!
完全なる”不条理文学”。
不条理文学とは、常識では考えられない突飛なことが、あたかも現実世界で起きるかのように描かれた文学のこと。代表的な不条理文学作家は、チェコ出身のフランツ・カフカや、フランス出身のアルベール・カミュ。僕個人としては、村上春樹もちょくちょく不条理文学のようなものを描いている気はする。
例を挙げるならば、フランツ・カフカの『変身』。朝、目を覚ませば、自分が虫に変わっていたという、何とも破天荒なお話。人の世の不条理を訴えた結果生み出された作風らしいが、この安部公房の『壁』に収録されている『S・カルマ氏の犯罪』も、始まりは『変身』とどこかしら似ている。(追記になるが、『壁』は安部公房の短編小説集。収録作品は『S・カルマ氏の犯罪』、『バベルの塔の狸』、『赤い繭』 ※赤い繭はさらに『赤い繭』、『洪水』、『魔法のチョーク』、『事業』の四作から成る)
まず、主人公は朝に目を覚ますと、自分の名前を思い出せないことに気付く。名前が書かれた名刺も消え失せ、身分証明書は名前の部分だけ塗りつぶされている。名前を失った主人公。とりあえずと職場に行くと、同僚と話している自分の名刺の姿が――。ここが不条理文学ならではのクエスチョンである。人間と話し込む名刺。つまりは人間と話し込む紙片。まず現実世界では起こりえない光景だが、不条理世界ではそこに疑問を持つこと自体ナンセンス。
自分の存在を示すはずの名刺が、主人の名前を奪ったまま一人歩きし始めている。急に気分を悪くした主人公は、病院に行き、診察を受けることにした。その病院の待合室で、雑誌をじっと眺めているうちに、そのページに載っていた写真がパッと消えた。おかしなことがあるものだと、次に動物園に赴き、檻に入ったラクダを眺めているうちに、後ろから誰かに背中を叩かれる。「窃盗罪の現行犯で逮捕する」
……??何だこの展開は!?僕はわりに綿密に物語を読み進めていったのだが、主人公が物を盗んでいるような描写はなかったはずだ。しかし主人公を追っていた人物が言うには、「おまえは病院の待合室で、雑誌から写真を目で盗み、今は檻からラクダを目で盗もうとしていただろ」……すごい展開。
常識では考えられないことが、物語の世界の中では当たり前のように起っている。主人公以外は皆その雰囲気を受容している、なんだか奇妙で不気味な世界観。映像化は不可能だとは思うが、雰囲気としては、『世にも奇妙な物語』みたいな感じ?
……ん~伝わったかな、この面白さ。映像化が不可能なだけではなく、僕が文章で伝えるのも、なかなか不可能に近い。僕の中のボキャブラリーでは、到底表現しきれない世界観。しかし、それこそがこの作品の魅力。とにかく少しでも、奇妙奇天烈、不可思議、非現実、夢のような浮遊感のある物語に浸りたい人は、ぜひ手に取ってみてください。
ここでは『S・カルマ氏の犯罪』しか紹介できなかったが、他の作品も傑作。個人としては『バベルの塔の狸』、『魔法のチョーク』が好き。『事業』は、ある意味、深くて考えさせられる。
すごいよ安部公房さん、おもしろすぎてどこにしおりを挟めばいいかわかりませんでしたよ。寝る前に読み始めて、結局、陽が昇るまで本を閉じることができませんでしたよ。東大医学部出身の天才とは言え、あなた頭の中どうなってるんですか?


終わり。