お久しぶりです。
今回母が くも膜下で倒れた時の介護が 妹の介護経験が 役に立った事を書くと言っていたので 今回書かせて頂きます。

それには 先ず妹の介護の話からしなければならないので 何章かに わけてお話する事になります。

第1章 妹の生活と私の対応

私の妹は 父と母の喧嘩の最中 幼い頃に階段から落ち頭を強く打ってしまい 打ち所が悪かったのか 高熱を出して脳障害を起こしてしまいました。

私も幼かったので その辺の記憶は曖昧ですが そう聞いています。

そして 私が 物心つく頃には 妹は テンカンの発作を起こす様になっていました。

幼い頃は 見た目も運動能力も知能と発作以外は 何の問題もありませんでした。

問題が出て来たのは 妹が中学生になる頃
でした。

段々 動きが鈍くなって来ていました。

その原因の一つは 発作を抑える薬が段々強くなっていた事と 何でもやらせずに やって上げていた為に 運動能力が低下した為だと私は思いました。

妹を見ていて思いました。

人は楽をしたがるものです。

そして妹の楽しみは食べる事に集中していました。

運動や 日常の事をしたがらず食べてばかり入れば 体重が増加します。

体重が増加すれば 運動や日常の事をするのが 普通の体重の時よりも困難になります。

悪循環の始まりです。

後テンカンの発作の薬が年々強くなるのは 仕方のない事だと思います。

ただ 安易に薬を強くする事は 良い事ではないとは 思いますが...

それを踏まえ処方して下さる先生も入れば 中には 安全第一になり 薬を強くする先生もいます。

なので 先生が変わる場合は 保護者の方は キチント先生と話す必要があると私は思います。

私達は素人であり 薬など治療は 専門である先生にお任せするしかありません‼︎

ただ薬を軽くするにはリスクも伴いますので どの程度の薬の強さにするのかは 先生と保護者の方との話が重点となり先生が判断して下さいます。

先ほど薬を強くする先生もいると 言いましたが 保護者とのコミュニケーションが浅い場合 病的リスクを回避する事に重点を置いた安全第一の処方になり安くなるから どうしても強い薬になってしまうと思うので...

やはり先生とのコミュニケーションは大切だと思います。

そして話は戻りますが 私は 妹が 悪循環に陥ってから 自分がして来た事が 妹に取って良くない事であったと気づかされました。

妹と一緒に班で 学校に通っていた頃 学校に歩いて行く事を嫌がり ただをコネみんなに迷惑をかけるからと 妹が駄々をコネると ランドセルを友達に持って貰い妹をオブって学校に通っていたのも 妹に取って良くない事でした。

妹が食べたがっているからと 自分のオヤツを妹に上げていた事も妹に取っては 良くない事でした。

妹が出来ないからと やって上げていた事は 妹の為には よくない事でした。

子供の頃の私は 周りが褒めてくれる事が いい事で 妹の為になるものと思っていました。

だけど それは 妹の為にはならず 逆に妹のやる気と運動能力の低下を即す事になっていました。

人間は 楽をしたがるモノである事を自分を考えれば スグに気づけた事なのに...

気づく事が出来ず 後悔しても仕切れない事を私は良かれと思ってしていたんです。

子供だからと言っても キチント妹の事を考えて上げていれば 気づけた事なのに...

私は気づいて上げる事が出来ませんでした。

中学生になって妹の運動能力に問題が出て初めて自分の行動が 妹の運動能力の低下を即していた事に初めて気づいたんです。

それから 慌てて妹にやらせる様にした所で 楽を覚えてしまった妹は ない知恵をしぼり楽をしようとして妹はやろうとはしません...

後悔してもしきれませんでした。

だけど そこで気づいた事があららました。

 3歳児の知能しかない妹が 楽をしようとする為に成長していたんです。

妹は ない知恵を絞って ありとあらゆる方法で 妹は楽をしようとしていたんです。

だけど私も妹に負けては入られません‼︎

私がいる時は あの手この手を使い妹を動かす努力をする様にしました。

周りの人は イジメに見える事には協力はしようとは してくれません。

多分 私が 妹にしていた事は 周りから見たらイジメに見えたと思いますが...

妹の為なら 意地悪な姉と思われても平気でした。

それにそれが 姉としての私の役目だと気づく事が出来たし...

それが本当の意味で 妹の為だと思ったから...(*^▽^*)

優しさは 間違えてしまうと 相手の為にはなりません。

ただ甘えさせているだけで 相手をダメにしてしまうと言う事に 妹を通じて 私は知る事になりました。

デキが良い人間だったら もっと早くに気づいて上げる事が出来たんだろうけど...

デキの悪い私は 妹が悪循環になり運動能力が低下ししまってから気づいたんです。
情けない姉です。

私が気づいて上げなきゃ誰も気づいてくれないのに...

この悔やみと反省が 母の介護に生かされました。

妹がいなければ 私は気づく事が出来ず 妹の時の過ちを母にしていたと思います。

だから 母の介護は 妹がいたから出来た事だから 二人で母の介護をしていたと...

妹の支えで出来た介護と言っても過言ではないと私は思っています。

だって 妹とのやり取りが 母の介護の時に役に立っていたから...

そして 妹の知恵の成長は 知能が上がったのではなく 経験値が上がっただけだと言う事も専門の先生から教えて頂きました。

知能が上がる事はないけど 経験を積めば経験として覚えるから成長するものなんだと...

そして 色々な事を妹を通して私は知る事が出来ました。

今の私は 妹のお陰でいるんだとも思っています。

先日また 妹の施設に行って来て 妹は話せないので 私一人で妹に話ていたんですが...
妹は私を見つめ涙ぐんでいました。

そうです。

妹は 来ない私をずっと待っていたんです。(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

その涙は なんでずっと来てくれなかったの?どうして 会いに来てくれなかったのと私に言っていました。

私は胸が苦しくなりました。言葉もありません。ただ ごめんね...ごめんね...と謝り続けました。

そして 言い訳にしかならないけど...だけとチャント話さなくてはならないと思い 母の介護に 行っていた事 そして母が病気である事を話ました。

だから 母は 妹に会いにこれない事 そして父も病気で 会いに来れない事を話ました。

そして 母も父もいつも妹を気にかけている事 周りの人も会うといつも妹の事を気にかけて 元気にしてる?と言ってくれている事を何度も妹に伝えました。

そして 母の介護をしていた時 最後の最後まで 元気になるまで 私の名前は出て来なかったし思い出して貰えなかったけど...

病気で 訳がわからない時 妹の名前ばかり言っていたと伝えました。

そうです。私は子供の頃から 母に疎まれていたから...

お前さえいなければ お前さえ生まれてこなければと...

私は 望まれて生まれて来た訳ではなかったから...

愛されている お前が羨ましいと つい妹の前で 泣いてしまいました。

お前はみんなから 愛されているんだよって 私は一生懸命 愛されたくて頑張っているけど お前には敵わない...

私は昔からお前が羨ましいと...

妹の前では 昔から本音が言えるから...

それに それを伝えるのも私の役目...

私が伝えなければ 妹は知る事が出来ないから...

どんなに みんなから 愛されているのか...

そして 私が母に会いに行っても 元気を与える事が出来ないから...

妹が少しでも元気になって母に会いに行ってくれたら 母が元気になる事を妹に伝えた。

昔は母が元気だったから会いに来れたけど 今は母が病気で会いに行けないから お前が元気になって お母さんに会いに行って上げる番だよって...

だから少しでも元気にならなきゃダメだよって...

私じゃ母を元気づける事は出来ないからと...

悲しいけど 事実だから...

お前じゃなきゃダメなんだよって...

私じゃお前の代わりにはなれないって...

すみません チョット感情的に...

変な終わり方になりますが...

すみません。


次回本題の母の介護を書きます。