可能性とはなんだろう

桐野夏生の小説グロテスクで
本当の裕福は官能的
といった言い回しがあったように思う

妙に納得したのだ
富とは甘いのだ
その甘さに庶民が群がってる姿を想像した

個体差というのか
その甘さに対する知らざるものの反応はそれぞれだろう

過剰に甘さを欲する者
甘さの源にも気がつかず無限に追い求める者
恐怖を覚え避ける者
甘さにも気がつかない者
甘さなど必要ない者
甘さを嘲笑する者

私は甘さには敏感だ
そこにあるエゴの塊が怖い
出来るだけ関わりたくないが興味はある
実際は一番、甘さに魅了されてる愚か者

私自身、親がバブルで少し甘い所からとてもしょっぱい世界に移ってきた類いの人間だからかもしれない

全ての可能性を握るのは1%の甘い蜜に浸かった人種と元来その可能性を与えられた頭脳を持つ者だと私は思っている

やりたい事をやりたい通りに可能性を操るのだ

頭脳は… それこそ後天的には無理だ
勉強させたからとかそんな類いのものでもないのだ、天才というものは
頭脳+努力する才能を持ち合わせている人には敵わない

そして、甘さを味わったしょっぱい親が己の子のために『可能性を広げてあげたい』という名目で甘さの源に近づける努力をする

そういうネガティブを心の中にかかえて生きてきた


しかし、今年、実家に帰って
老いた両親を見て

両親は私たち姉弟を育てるためにいくら投資したのだろう
私たちの教育費がなければどれだけ楽を出来たのだろう
私たちの将来のためどれだけ自分達の人生を使ってくれたのだろう

と、しみじみ思った

子供のいない私などが想像するよりももっと深い愛で私たちに投資してくれている

私のようにひねくれた人間が客観的に見たら随分と馬鹿げた事だろう

だが、そうやって両親がたくさんの愛で育んでくれた私の人生が
今まで出会った人たちを結びつけてくれたのだと思った



ふいに恩返しできてるのか?と怖くなった


新幹線の中でぎゅうぎゅうに詰め込まれてる人を見ながら
この中の人、みんな、一人残らずみんな
死んで、焼かれて、骨になるのだと思った


親が骨になって
無になってしまう前に



この子達を生み育ててよかったと思ってほしい
歳をとってもそれは出来る


両親のように懸命に働き
子供は授かれないけど


その分、社会に貢献したい
今年も頑張ろう


ありきたりの言葉で締める