変化を促す言葉。
文字を紡ぐ手法により個人の価値を高めていく方は沢山おりますが
仮に作家さんや文字に起こすような職業に就いている方ではない限り
喉から零れる音に変化させるという工程を省いてまで文章というものに拘りを持つ人はあまりいないと思います。
(例えば「好きです」とメールで伝えるよりも自分の声でその想いを伝えた方が良いのと同じように)
勿論、どんな些細なものであれ込めた想いを放つ作業は誰しもがどんな媒体であれ行うことであり
それが文字や声だけではなく身体で表現をしていたりすることもあるかと思います。
様々な人があらゆる形で表現出来る想いも
人によりその伝え方も異なるように
僕にとっての表現方法は音(声)にすることが自分にとってのベストだと感じています。
文字を声に変える作業というものがその人のバックボーンを含めた表現であるのならばその言葉の価値は何倍にも膨れ上がり意味を持つものに変わる。
それを選択しない術はないです。
逆もまた然りで文字を主軸に置いている人が放つ言葉の裏に生き様や努力または挫折など複数の要素が混ざり合い形成されたものなのだから
表現は悪いですが仮に冴えない生き方をしてきた人の発言だとしたら文字にしても声にしても重く響くような意味は持たないのと同じで
受け取る側に訴えかける何かを届けられているのかという疑問になり得たりもします。
大切なことは放つ言葉のはしはしにその人を想い描けるような人物であるべきなのであり
僕自身も数多の素晴らしい発言や生き様を語られている方々の想いまたは才能を受け取りながら成長出来たらと思う次第で御座います。
何が言いたいかって?
更新頻度あげるよってこと!!!
だよお^^
眼を逸らしてきたもの。
僕は酸味のある食べ物が基本的に苦手だったりします。
けれど克服の為に最近は果敢にチャレンジしていたりもします。
本日ポン酢に挑戦しました。
うん、いける。
いけるよ。
甘いものや辛いものに比べたら
仮に酸味のあるものとどちらが好みかと問われたら
今の所は確実に前者に傾いてしまいますが
決して口に運べないことはない。
食わず嫌いとはよく言ったもので
口にする機会を重ねる術が好みの食に比べ
圧倒的に足りてないのであって
言い方を変えれば他の味覚に対して
酸味の経験値が絶対的に少ないということですね。
この先、他の味覚と比べて酸味のあるものが好物になるかどうかは
定かではないですが
口にしたものを素直に美味しいと思える事は非常に大切なのだと
改めて学びました。
子供の頃に麦茶が飲めて烏龍茶が飲めなかったように
味の好みは年齢に比例して逐一変化していくもの。
これは嫌いだと頭ごなしに否定して
ないものへとするよりも
向き合ってみる努力は必要なんですよね。
これは食に限らず様々な要素で絡んでくるものだと思います。
食は他人を介さない一対一のものだから
他の事象に比べたら入りやすく
何より変えやすいもの。
頑張ろ。
(アレルギー反応が出てしまう人は駄目ですよ!)
