~こまどり 第四章『光』~



淡い夢とは反対に、寂れた風が吹く村に、一人の男が思案顔で佇んでいた。

漆黒の髪や袴は土で汚れていたが男は其れ以上に気にすることがあった。


「勒七は何処に行ったんだ」


己よりも傷を負っていた勒七。夥しい量の血が広がる光景を思い出した悠助は思わず顔を顰めた。

その時、


「悠助!!」


響いた声に悠助は安堵の息を吐いた。


笠と額髪で隠れているものの、笑みを浮かべている勒七が少し離れた場所に立っていた。


「どうやらお互いに良い夢を見たようだねぇ」


「そのようだな」


二人は懐かしそうに顔を見合わせた。


「悠助、見てもらいたいものがある」


楽しそうに口角を上げて歩き始めた勒七に、悠助は不思議に思いながらもついていく。

人の気配は無く、見捨てられた空間を悠助は歩きながらぼんやりと眺めた。


「何も無いな……」


「此処は何年も前に廃れてしまった場所みたいだからねぇ。でも見てごらんよ」


勒七は立ち止まって一点を指差した。その先には一つの石碑があった。



――月影城跡――



悠助は目を見開いて口をぎゅっと閉じた。


「此処で桜は生きたのだねぇ」


勒七の穏やかな言葉に悠助は無意識に桜姫にそっと触れて目を瞑った。


「お前さん達も険しい道を歩いておるのぉ」


突如しみじみと降ってきた言葉に、悠助と勒七はぎょっとして振り返った。

其処には木に凭れ座している老翁が一人。


「お前さんに話した桜姫の悲劇には続きがあるのじゃ」


「続き?」


悠助の疑問に老翁は頷くと、今は無き城を見詰めるように笑みを浮かべた。


―――――

―――


薄暗い部屋の中、布団に横たわる男とその傍らに座る二人の男がいた。

横たわる男に生気は無く、既にこの世の時を刻んでいないことは明らかだった。


「原因は何だ」


立派な着物に身を包んだ男が、怒りを抑えた表情で隣に座る男に尋ねた。

問われた男は己の体がぎゅっと潰れたような気がして、身を捩った。


「ふ、不明でございます」


其れを聞いた男は無言で部屋を出ていき、残った男は慌てて追いかけた。


「お待ちください、安斗様」


「何だというのだ、全く。どの医者も匙を投げおって」


安斗様と呼ばれた男は苦々しげに言葉を投げた。この男は月影城の主である。

大きい城ではないが、安定した城だった。しかし、ある日を堺に暗雲が立ち込め始めた。

原因不明の死を遂げる者が続出したのだ。 名医を呼んでも首を横に振り、死者は先刻の男で八人目だ。


「これ以上の死者は他の者に影響が出てしまいます」


「ならばこの奇怪を解いて見せよ、秋辰」


「恐れながら安斗様。皆は蒼黒丸の呪いだと」


段々と小さくなる声に、安斗は馬鹿にしたように笑った後、冷ややかに言葉を捨てた。


「お前は下の者の言葉を鵜呑みにするような男であったのか」


「安斗様!それは皆の侮辱にございます!!」


「私はお前に解いて見せよと言ったのだ」


思わず噛み付いた秋辰は一瞬にして己の体が冷えるのを感じ、恥ずかしそうに口を開いた。


「呪いではないと言えませぬ。死者が出るようになった時期と、蒼黒丸が切腹をした時期は重なります。調べてみる価値はあるかと……」


「お前に任せようではないか」


安斗はそう言って満足気に笑った。






「弓螺と申します」


そう言って一人の巫女が深々と頭を下げた。安斗に頼まれた秋辰は、弓螺を城へと呼んだのだ。


「そう畏まる必要はない。早速で悪いが、お主はどう考える」


「この城、外から分かる程の怨念に包まれております」


弓螺の言葉に周りは小声で騒ぎ、安斗は顔を思い切り顰めた。


「強い怨念故、封じるしか方法は無いかと……」


「してその方法とは?」


「刀に封印致します」


「刀だと?」


安斗だけではなく、弓螺以外の人間は不思議そうに首を傾げた。


「この怨念は何かを強く求めているようです。心当たりはございますか?」


弓螺の問いに大きな沈黙が降ってきた。 思い出されるのは、嫁いでいった姫と、怨みを浮かべた家来の目。安斗は小さく唸って事情を説明した。


「まさかこのようなことになるとは……」


顔を歪めた安斗に、弓螺は静かに口を開いた。


「刀を用意して下さい。その刀を桜様に預けます」


有無を言わさぬその言葉によって、一つの妖刀が生まれた。名は刹鬼といった――。



刹鬼が生まれた次の日 青い空が眩しい太陽を包む中、一人の女がある屋敷を訪れた。

綺麗な黒髪と陽に輝く巫女服を風に靡かせる女の手には、些か不釣り合いな刀が一本握られていた。


「ようこそいらっしゃいました」


聞こえてきた声に目を遣れば、そこには煌びやかな美しい着物に身を包んだ女がいた。

着物に負けぬ美しい女は儚げに此方を見て微笑んだ後、巫女服の女を部屋へと通した。


「どうぞお座り下さい」


そう言って先に座った女に、巫女服の女は少し目を丸くした後、静かに座った。


「姫様自らが話を聞いて下さるとは思っていませんでした」


「皆の反対を押し切ったのです。どうしても、私自ら話を聞きたかった……。あの方、蒼黒丸様の事なのでございましょう?」


「……桜様は、蒼黒丸様のことを本当に愛していらっしゃるのですね」


桜はそっと庭へと視線を送った。そこには、己と同じ名を持つ花が舞っている。


「これ程、姫という立場を恨めしく思ったことはありません。何故、己の愛する人と結ばれることが許されぬのか。綺麗な着物も何も欲しくはない。だから、あの方と共に歩みたい。私はそればかり考えておりました。しかし、結局は叶う事のない夢。あの方と思い描いたものは全て消えてしまいました」


散りゆく桜花に、想い人を重ねているかのような瞳に、弓螺は思わずぎゅっと口を結んだ。

周りの勝手で願いを奪われ、望まぬ道を背負わされた姫に、己は更に過酷な道を歩けと言わねばならないのか……。

いっその事、この刀を圧し折ることが出来たならばと思い、弓螺は本題を切り出すことが出来なかった。

そんな弓螺に、桜は視線を戻して笑い掛けた。


「どうぞ、お話し下さい」


桜の笑みに弓螺は息を呑むと、迷いを嚥下して話し出した。


「蒼黒丸様は、城の者の命を怨みで奪っておりました。その怨みを鎮める為、怨恨を刀に封じ、その刀を桜様に所持して頂くことになったのです。蒼黒丸様が求めるのは、桜様でございますから」


桜は暫く己の膝を見詰めていたが、何かを覚悟したかのように真っ直ぐに弓螺の瞳を見詰めた。


「私は生きていなければなりませぬか」


「……え?」


弓螺は己の喉が酷く乾いていることに気が付いた。とても嚥下出来る言葉ではなかった。


「どういう意味ですか」


弓螺の言葉に、桜は穏やかな笑みを浮かべた。


「本当は直ぐに命を絶つつもりだったのです」


その言葉に弓螺は絶句した。こうして目の前にいる人が、もしかしたら存在しなかったのかもしれないのだ。


「私は蒼黒丸様を愛しておりました。それは誰にも分かりませぬ」


弓螺はぎゅっと口を結んだ。己の言葉はどんなものでも軽くなってしまいそうだった。

弓螺は、この時の桜の表情を忘れることはないだろう。



それから三日後、弓螺は桜姫を桜の血を継ぐ者へ。そして刹鬼を月影城の近くにある祠へ封印した。

城の者からは良い顔をされなかったし、弓螺自身も気分は最悪ではあったが、これで全てが終わった。

しかし、この時別の歯車は既に動き始めていたのだった。


弓螺が桜に会いに行く前、弓螺はある村を訪れていた。

城の近くにあるその村は小さいながらも平和な場所であった。


「兄上!!はやくー」


「梢、危ないよ!」


子どもらしい高い声が村に響く。桜色の可愛らしい着物を着た女の子が駆けており、袴姿の男の子がその後ろを慌てて追い掛けていた。


「だいじょうっ!!」


「梢!?」


笑顔で走っていた女童は豪快に地面に挨拶をした。


「いたいよぉ……」


「だから危ないと言ったのに……」


「大丈夫?」


瞳に涙を浮かべた女童に、追い掛けていた童は些か呆れたように言葉を掛けた。

そんな二人に優しい声が降ってきて、梢の涙はぴたりと止まった。声を掛けたのは一人の巫女だった。

梢は目を輝かせ、童は不思議そうに問いかけた。


「村に何か用事ですか?」


「いいえ、月影城に用があったのよ」


その言葉に童は月影城を見上げた。


「前よりは平気だけど、暗いもんね」


弓螺はその言葉に目を見開くが童は気付かずに笑みを浮かべた。


「僕の名は愁。こっちは妹の梢」


「私は弓螺よ」


これが三人の出会いであった。それから数日の間、弓螺は兄妹と共に過ごし、その中で愁に神力を教えていた。愁には才能があった。

その後、刹鬼と桜姫を封印した弓螺は村から去っていくのだが、この二つの歯車が大きな軋みを生み出すとは、誰も気付くことはなかった。


―――

―――――


話し終えた老翁は、じっと見えぬ城を見上げていた。


「やはり弓螺と関わりがあったのか」


龍影の読みは当たっていたのだと、悠助は思わず顔を顰めた。


「しかし重要な部分が抜けているねぇ」


勒七の言う通りだった。何故、羅刹が生まれたのか。何故、愁と梢は変わってしまったのか。

知らなければならないものが分かっていない。しかし、老翁は何も言わずに歩き出した。

悠助と勒七は其れを追うことなく、静かに“月影城”を見上げた。




大きな大きな城であった―――。