(7月4日付 編集手帳より)


お天気博士の倉嶋厚さんは長野市で育った小学生のころ、山で採った怪しいキノコを焼きながら、「測候所、測候所…」と唱えたという。「あたらないように」という意味のおまじないだそうで,天気予報が当たらない確率の高かった当時ならではのおまじないといえよう。

そして,「その私が気象予報に従事するとは…」と倉嶋さんは7年前、長野県版の連載エッセーで苦笑していたという。


しかし,小学生がおまじないで「測候所,測候所…」なんて本当に言うだろうか。
そして,その当事者がお天気博士になっているというところを見ると,そのまじないの話は氏のネタではないのか,と思わずにはいられない。元来疑り深い私の性分からくる良くない傾向であることは重々承知した上でのつぶやきであるが。


そして,そのエッセーで,倉島厚さんは,こう言っているという。
〈願わくは「マニフェスト」がおまじないになりませんように〉


いろいろと思うところがある。
まず「当たらないように」ということを願うこと自体が,そうそうあるものではない。
そのようなまじないをするのは,野生のキノコを採って食べるという所作を行う一部の人間であればするかもしれないが,現代の日本においてそのようなことをする人間は少ない。
まじないをするとすれば,普通は「当たりますように」だろう。


そして,「マニフェスト」は当たる,当たらないの問題ではない。これは著者も指摘している。
「公約にせよ、マニフェストにせよ、予測ではなく実行すべきものなので、当たる当たらないの話ではないはずだが、そんなイメージで揶揄(やゆ)されてしまうのも、政治の側の不徳のいたすところであろう」


倉島という方を私は全く存じあげないが,小学校時代の思い出のうさんくささや,「マニフェストがおまじないになりませんように」という少し詰めの甘い一言を見ると,気象の予測も小手先でしていそうなイメージすら感じるのだ。見ず知らずの私がこのような印象を持つということは,そのエッセー自体が氏自身の評価を下げることになっているのではないだろうかと変な心配をしてしまう。