(8月4日付 編集手帳より)
ビルの屋上から投身自殺した女性の遺体が、数か月後に植え込みから見つかるという出来事が東京であったらしい。飛び降りたことを知る者はいなかったが、あとで調べてみると、ビルの管理用コンピューターは女性が自殺したであろう日、屋上に出て戻らなかった人間がいたことを、その数「1」と記録していた。評論家の松山巖さんは、そのコンピューターの画面に現れた「1」を〈現代の幽霊〉と読んでいるという。
著者も、その「1」は、命のはかない“影”であると指摘する。
そのコンピュータには「1」という数字が記録されていた。そして、そのコンピュータの設置意図をよく知らない人間がその記録を見ても、ただ単に「1」という数字が記録されていることを認識するに過ぎないだろう。しかし、関係者がその記録を見ると、屋上に出て戻らなかった人間が1人存在するという意味を持った情報に変化する。
コンピュータは、その情報の持つ意味を何ら感じることなく、また嫌がることもなく、ただ淡々と情報の記録を行う。しかし、その情報が関係者の持つフィルターを介して映されると、大きな意味を持った内容として現われる。情報を活かすも殺すも、利用する側にかかっている。
人間の脳に記録できる情報の量はたかが知れていて、コンピュータが登場するまでは専ら紙に記録していた。コンピュータが登場してからというもの、記録できる情報量の多さ、記録する際の手軽さ、記録された情報の検索のし易さという点で、紙に記録することをはるかに凌駕するため、何でもかんでもコンピュータで記録するようになった。特に、手軽に記録できる結果、本当に必要な情報もあまり重要でない情報も、一切合切記録するようになる。その結果、本当に必要な情報が、記録されたまま日の目を見ることなく、幾多の不要な情報の山の中に隠れたまま埋もれているということが起こりやすい。
書店などに行くと、大量の情報をどのように整理するかといった内容の本があふれている。もともと、必要に迫られて情報の記録を行ってきたのに、記録された情報が多すぎて必要な情報が見つけられなくなったから情報の整理が必要だという状況になっていることに、人間という生き物の愚かさを垣間見る。もし古代から現代までずっとこの世を見続けている「神」が存在するとすれば、きっと笑っているだろう。「人間もまだまだよのう」と。
数ヶ月間、単なる「1」という数字に置き換えられてしまったその方のご冥福をお祈り致します。