新約聖書のマタイによる福音書の第25章40節を引用する。
すると、王は彼らに答えて言います。
『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者のひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
ここでの王は神のことである。
また、最も小さい者とは、貧しかったり、病弱であったり、世間から蔑まれていたりするなどの、いわゆる社会的弱者のことである。
自分は~~だと、社会に認められるような大きな自分というものを持たない存在のことだ。
その意味では、持っているものは無に近かったのかもしれない。
だが、そこがキーポイントのように思う。
自分を無に等しくして生きるしかない人々、彼らは他人に誇れるような大きな自分というものを持たないが故に、つまり無に近しいからこそ、神である全体が(無限の存在)が介入できるスペースが多くあったのではないかと思う。
つまり持たないが故に、常に神と共にある状態であったのだろう。
だから、最も小さい者のひとりにしたのは、神にしたことだということが言えるのだろう。
どんな存在も、全体の神と離れた時など一時たりとも無いのだが、最も小さい者は神と共にある状態を身をもって体験していたように感じる。
今の世の中を見ても、当時と同じように最も小さい者は存在している。
死を待つだけの人々に尽くしたマザー・テレサの生き方もそのような信仰心からの行動だったのかもしれない。
今自分達に出来ることを見つめ直してみたい気持ちになった。
この記事を読んで下さった方に何か感じとって頂けたら大変嬉しく思う。