こんにちは
 

私のブログにお越しいただきありがとうございます

 

 

 

 

 

この季節この日になるたびに

心の底がしくしくと辛くなります

 


6年前のあの日・・・・

 

 

私は横浜にある某大学病院の外科病棟の看護師として

その日もいつもの様に

がん患者様の病室の担当として忙しく働いていました

 

 

 

 

 

 

 

私が受け持った部屋は全員が末期がんで

ほぼ寝たきりの患者様ばかりでした

 

 

食事を経口摂取(口から食べる)する事ができず

それぞれの患者様の横には

IVH(中心静脈栄養)と言って直接栄養を

血管から点滴して補給していくための

大きな点滴袋が幾つも下がっている状況でした

 

 

そしてその時は突然にやって来ました

 

 

 

下から突き上げるような揺れがあって

その直後に今度は激しい揺れがやって来ました

 

 

「きゃ~っ!」

 

 

叫び声をあげたのは

医師、看護師、助手、面会のご家族様

 

患者様は衰弱していて叫ぶこともしませんでした

 

 

 

「メキメキ!!バリバリバリ!!」

 

 

ものすごい大きな音と共に

私の真横の壁が

見る見るうちに縦にひびが入っていきます

 

 

その時私は思いました

 

「ああ・・・私はここで死ぬんだろうか?」

 

 

でも何故か冷静な自分がそこにいました

 

白衣を着ている時の自分は

「五月女夢実」ではなく

 

「五月女看護師」でした

 

 

非常階段を降りていく人達の足音と叫び声を聞きながら

 

 

 

 

 

 

私は必死で叫んでいました

 

 

「みなさん!大丈夫ですから!私がここにいますから!」

 

 

でも患者様達は

 

まったく微動だにもせず

声も出さず

うつろな目で

じっと天井を見つめて揺れの中にいました

 

 

病棟を見渡すと

 

患者様の横の点滴棒が

床の上を左右に揺られています

 

 

「危ない!!」

 

 

私は無我夢中で

患者様のベッドとベッドの間に走り込んで

両手で2本の点滴棒をつかんで

必死に支えました

 

 

その後の事はあまりよく覚えていませんが

 

 

唯一覚えているのは

 

 

揺れがおさまるまで

がん患者様達はただ黙っていらしたこと

 

自分が看護師人生で一番看護師らしく勤められたこと

 

私達、看護師が師として仰ぐべき人間が

真っ先に建物の外に逃げ出して私達を見上げていた顔

 

そして

 

各ベッドサイドにあるテレビ画面から

現実のものとは思えない

恐ろしい光景が流れていたことでした

 

 

 

未だに2千人以上もの方が

ご家族の元に帰られていない現状です

 

 

合掌させてください

 

 

そして

被災者のみなさま

 

街は少しづつ復元されても

二度と戻らない大切なものを失われ

ご自身の心も失っていらっしゃるのでしょう・・・・

 

どうか一日も早く

心からの笑顔が戻られますように

 

 

そして

もう二度とあのような悲劇が起きてはならないし

 

私達も

済んだこととして忘れてしまわないようにしなくてはならないと思います

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました

 

読者登録してね