孤独のグルメ ステーキ編  高度成長前半は?上級品シフトよりものの充足で成長 | ラーメン二郎とNWA世界ハゲでぃすりチャンプブル二郎のブログ

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味含め辛口ですが、ブログ主の主観です。

今日は八重洲の老舗ステーキハウス雅亭に一人でいってきた。

前菜(^o^)

なんだっけ?笑

シチュー小皿

先輩こっちの方がいいでしょうか?!!

マグロのなんか

結構おいしかった(^o^)

 

 

 

昨夜の富士丸のダメージもありこれで結構お腹一杯(^o^)

 

昨日からの続きです。

1960年に池田内閣が所得倍増計画を打ち出しました。

当時の日本はまだまだ貧しく、今の生活水準からみると足りないものが

圧倒的に多い状況。

物心ついた1965年以降でも、

洗濯機 冷蔵庫 テレビ 掃除機

などなどなくて、徐々にそろっていった。

上級品へのシフトもテレビがカラーに、洗濯機は脱水機ないものから

脱水機付に、などとにかくまずは生活必需品の充足、これを国内で

生産することで成長していったのです。

 

労働力の不足は、農村の過疎化と引き換えに若者が都会に上京

して都市部労働力は充足されていきました。

高学歴化も徐々に進み、「金の玉子」が不足してきたなど1970年前後

からいわれるようになりました。

金の玉子は中卒の田舎からの集団就職者のこと。

 

この状況は1970年代後半、日本が世界二位の経済大国になってから

変化していきます。

経済成長の主力はイノベーションの成果もあったわけですが、次第に

上級品への需要シフトに変わっていくのです。

 

このころから、セクキャバキャストは当時貧乳率高かった日本人キャストから凹凸くっきりの金髪ムチムチにかわっていったのです・・・嘘(・_・;)