ブログを始めたのは、日々の出来事の記録と、自分が生きてきて書き留めておきたいことを整理するため、それと、もし私に何かあれば家族が読んでくれたら良いなと思ったから。


ブログの存在はエンディングノートに書いておこうかと思っている。


母親、妻、社会人、一人の女性として日々こなすことが多くて、どんなことを経験し何を考えて生きてきたかを事細かに話す時間もなければ、それを嬉々としてゆっくり聞いてもらう時間や余裕なんて周りの家族、友人にもないだろう。


時間のある時に記しておける、そして読めるブログは良いなと思った。


私は、50代前半で亡くなった母の経験や考えをとても知りたかった。


私の知らない母を知りたかった。


私の手元には母が私宛に書いた1枚の手紙しかない。




兄から母親と同じ病気になったと聞いた。


発症もほぼ同じ年齢。


この病気は家族性が高く、私も定期的に検査している。進行する前に見つかれば治療の効果は高い。


兄は忙しさから、ほぼしていなかったらしい。


兄とはもう7年会っていなかった。


病気を聞いた時は息が止まるかと思った。


母の最期を思い出し胸が詰まった。


心配かけまいと詳しい内容を話さないのは兄らしい。


とにかく、出来ることはしたから大丈夫だと。


私も怖くてそれ以上聞けなかった。


どうか、どうか兄が大丈夫であるように祈った。


兄は海外なので次は夏に帰国すると言う。



何となく、私もいずれ発症するんだろうなと覚悟してしまった。


それならば、2人と同じ年齢、あと数年で発症するかもしれない前提で生きていこうと覚悟した。


もしも免れないなら、それまでは健康に気を付けながら悔いのない生き方をしたい。


行きたい場所、会いたい人、やりたい事を諦めない。


病気にならなければそれで良いし、やったことは無駄にならない。


ただ、日々それらを念頭に置いて過ごすことは、ただ毎日を過ごすことと大きく違う。


折り返し人生にさしかかり、私は何がしたいのか考える。




いつもドライブする海までの道端で、バケツに入って売られている無人販売のお花。


丁寧に数本束ねられて透明シートに包まれた花たちを見ながら、どんな人がこれをしているか気になりながら通り過ぎていた。


路肩に車を停めて財布を握りしめて降りた。


錆びた缶にお金を入れた。


とても綺麗なお花たち。


いつも通り過ぎるたび、いつかはここのお花を飾りたいと漠然と思っていた。



後悔のない生き方を考え始めて、その「いつか」を今に出来た。