余命3年の前立腺がんとの闘病日記 -74ページ目

あなたのどんな苦しみでも救うことは可能なのです

 私はこの国を創価学会の支配から解放させたかったのです。しかしそんな手段はありませんでした。それはどんな人にも言えない悲しみや苦しみがあるからです。それこそ釈迦の説いたとおりに、生きることはそのまま苦しみだからです。

 私はここで、釈迦の説いた苦しみから解放される手段を知るために、高校時代の倫理社会の教科書を開いてみました。そして釈迦は、決して来世での幸福をキリスト教のように説くのではなく、現実の世界で救われる手段を説いていることを知りました。

 それこそは、人はだれもが強い欲を持っていると。だからこそ人はその欲を満たされないことから、生きる苦しみを味わうのだと。それは病気にしても、いったん病気になってしまった以上、その病気を認めず、また同じような健康な体に、精神になりたいと思うからこそ、人は病気で苦しむのだと。

 しかしそれならば人は欲から逃れられるのでしょうか。それこそ金欲や権力欲からは人は逃れることはできます。それが出家ということでしょう。そして現実の世界から、逃げることで、あらゆる煩悩から解放されるのでしょう。

 しかしそれこそは、飢えた子どもや病気で苦しむ子供を見た場合に、いったいどうすればいいのでしょうか。それこそその子供を救いたいという欲があるから、そのやさしい人は苦しむのだとも言っているのでしょうか。

 だからこそ私は人類を救済する手段を訴えたいのです。それこそは人類に強い進化の意思を誕生させることなのです。それでこそ人は、現在のあらゆる悲しみや苦しみも、人類の進化のための戦いだと感じ、その苦痛を感じなくなるのではなく、その苦しみと闘うことが可能になるからです。それでのみ、私は私の病気や生活の苦しみから解放されることが可能だと気がついたのです。

 私は生きることがこれほど苦痛に満ちたものである限り、宗教がなくなることはないと思うのです。それはもちろん正しい宗教も、カルト教団も、死後の世界でしか私を、そして重度の病者や障害者を救えないという理論に、感情に対抗できないのです。それこそ、100年後に私の病気を救う薬を開発できても、今の私にとっては何の慰めにならないのです。それゆえ私は、確かにどんなに苦しくても生きる希望を抱こうと努力をしてきましたが、今になっては、それこそ46歳になった今、本当に来世での幸福しか望めないような気がしてきたのです。

 しかし今の私をいったいどうやって救うことができるのかと思っていたのです。それこそ私は人類の進化の意思を訴えてきました。しかしそのようなものを信じたところで、いったい何になるのかと思っていました。しかし私は間違いに気がついたのです。

 それは確かに、進化の意思を訴えたところで確かに救われるわけではありません。しかしそれならば、神様や仏様、来世や天国に救いを求めたところで、今の苦しさがほんの少しでも和らげることが可能でしょうか。

 そんな時に私は、確かに今の人類の進化の意思では、私は救われません。しかし私は、その人類の進化の意思を無限に強くしていくことにより、必ず私の病気の苦しみも、生活の苦しみも、老いの苦しみも救うことが可能なことに気がついたのです。

 私はそれこそが究極的に、人類を救済する手段だと気がついたのです。それにはどうしたらいいのか。それこそは人類に進化の意思の存在を、哀の感情、やさしい気持ちの存在に気がつかせるだけでいいのです。それだけで人類は進化の意思に気がつくことが可能になるのです。そして人類は画期的に変わることが可能になるのです。

 それこそ本当に私は、両親がもう先が長くないことを知り、それこそ私自身も、46歳になり、それこそ釈迦の説いた四苦、それこそ生きる苦しさも、病気の苦しさも、老いの苦しさも、死の苦しさもすべてあじわうようになりました。

 しかし私は釈迦のといたその苦しみからの解脱の手段は間違っていることに気がついたのです。それこそ私は、人類の進化の意思を無限に強くしていくことで、人類をあらゆる悲しみや苦しみから解放させることが可能なことに気がついたのです。

 それこそ人はどんな苦しみでも、その苦しみを人類の進化のための大切な戦いだと感じることが可能だからです。だから私のこの戦いを支援してください。

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