SoRa飛ぶ水玉FLYING V -2ページ目

料理人Pt.7

 

 

 

 

さてさて、そんなこんなで渋谷店が閉店して先ず研修がてら行ったのが東村山店。

ここで1ヶ月ぐらい働いてから成城店のオープニングスタッフへ。

で2か月後、小平店。

小平店は当時1番売り上げのある店で土日は1日100万の売り上げがあった。

ランチで30万、夜は17時からウェイティングがかかり70万。

俺は料理長だったので1番鍋で2台のガス台を使って料理を作りながら2鍋のアルバイトにオーダーを通す。

昼から料理を作りまくり昼ご飯も食べずに夜に突入。

昼食兼夕食を食べるのは22:30過ぎ。

なかなかヘヴィだった。

 

その次に東村山店に移動。

チャリで1時間かけて通っていたがしんどくなったので原チャリを購入。

この店はいわゆる「でる店」らしく俺も一回不思議な体験をした。

夜中2時くらいに帰ろうとしたときに赤ん坊の泣き声がしてね。

誰かスタッフが連れてきてるのかなと思って見に行くと赤ん坊はいない。

確かに俺と店長は声を聴いてるんだけれど。

怖くなってさっさと帰った。

 

次は武蔵村山店。

この店が一番思い入れのある店だな。

7月くらいにお店で「こっくりさん」をやろうと盛り上がり

先ずは閉店後24時くらいから宴会。

お酒も程々廻ってきたところで「こっくりさん」開始。

この店も「でる店」でよく出ると言う座敷の席で真っ暗にして。

最初は動かなかったけれどそのうち動き出した。

色んな質問をしていると答えてくれていたがそのうちグルグル10円が回り始める。

部屋の空気は段々重くなる。

いったん止まり、またゆっくり動き出す。

止まった文字は

 

「お」 「ま」 「え」 「ら」 「し」 「ぬ」 「よ」

 

よせばいいのに誰かが聞いた。

 

「誰が死ぬんですか?」

 

ゆっくり10円玉が動き出す。

 

「し」 「ん」 「す」

 

この日集まった八人の中に「しんすけ」というキッチンスタッフがいた。

 

次に10円玉が「け」に向かったら紙の上から叩き落とそうと思っていると

 

「と」 「ん」

 

「し」 「ん」 「す」 「と」 「ん」

 

何じゃそりゃ。

拍子抜けして周りを見ると涙目のしんすけがWWW

 

いやーなかなか怖かった。

まだまだこの店の話はあるけれど書き出すと長くなるのでまたの機会に。

 

 

写真は武蔵の閉店の時に貰った寄せ書き。

俺の宝物。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

料理人Pt.6

 

 

 

 

12月ですな。

 

毎年この時期になると必ず思い出す。

 

あれは・・・

試行錯誤しながら料理長を務めての初めての年末。

 

年末と言えば忘年会。

我が店も流れに漏れず忘年会ラッシュ。

 

しかもこの時の店長が気合い入れて物凄い数の宴会を入れてきた。

 

その結果。

これは当時のシフト。

 

休みは1日。遅番がたまに。

 

まぁしょうがないね。

 

でそれは17日の月曜日から始まった。

忘年会のピーク週。

当然クソみたいに忙しい。

昼ご飯を食べる時間も無くキッチンで立ったままチャーハンを胃に流し込む毎日。

営業が終わってから発注をすると時間は夜中の1時過ぎ。

当然電車は無いので店に泊まる。

それが17日の月曜日から25日の火曜日まで。

店の座敷に暖房をガンガンつけて眠る。

朝は9時に起きて屋上に上がり12月の寒空の下で水道で頭を洗う。

寒かったなー。

さすがに体は洗えないから寝る前にタオルを濡らして拭くぐらい。

遅番の日もあったけれど家に帰るのが面倒で帰らなかった。

26日も泊まろうと思っていたら流石にスタッフに帰らされた。

 

そんな12月の営業は過去最高売り上げの1200万オーバー。

利益も500万出たのかな。

 

そんな無茶をしてまで頑張ったけれども店は翌年の3月に閉店。

売り上げも良く利益も出していたけれど会社が方向転換し

大箱のファミレス化にしようというどう考えても無茶な方針のため。

 

いやいや悔しかったね。

 

 

そしてそこから料理長として色んな店に移動するわけだがそれはまた別のお話。

 

 

料理人Pt.5

 

 

 

 

今日はそんなに酔っぱらってないので。

 

そう、社員になったとこまで書いたんだっけね。

 

アルバイト時代は手取り35万。

そりゃそうさね。

朝から夜中まで働いてたから。

 

で、社員になりました。

手取り22万。

 

 

 

がーーーーーーーーーーーーーーーーん!

 

 

働く時間は同じ、もしくはそれ以上。

 

まぁベンチャー企業だったのでしょうがないと。

売上を上げれば昇給するし。

との思いで頑張って四半期ごとに昇給。

無事に1年後には同じぐらいに。

 

そこに行くまでがきつかった。

 

毎日朝9時から夜12時過ぎまで働きっぱなし。

昼休み、そんなもんは無し。

休みは週1日あればラッキー。

 

当時の京王線は終電が12:18分だったから当然間に合わない。

なので朝自宅から三鷹までチャリで行き、帰りは井の頭線の終電で吉祥寺まで行って中央線に乗り換え三鷹から帰宅。

家に帰るのが2時過ぎ。

おちゃけ飲んで寝て朝7時過ぎには家を出る生活。

 

いま思うとよくやってたな。

 

まぁそんな話はいいや。

 

 

全くの未経験から料理長になって店を切り盛りしていかなければならないのが一番キツカッタ。

 

休みの日やアイドルタイムに色んな中華料理の店に食べに行ってお勉強。

 

そんな毎日。

 

 

お店は地下にあってある意味隠れ家的なお店。

だからかよく芸能人が来たな。

 

ウド鈴木

ピエール瀧

古館伊知郎

前田愛

山崎努

谷村新司

小堺一樹

槇原敬之

石井正則

 

それがどうしたって話だが。

 

そんなこんなであの素晴らしい2001年の年末に進むのでござる。

 

 

 

とぅーびーこんてぃにゅー

 

 

 

酔っぱらったwww