14. 誰かと一緒に。 | photostyling75c

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〜全ての女性と、全力で生きるママたちへ~
写真で、生活をスタイリングしよう。
恵比寿.広尾.代官山の3店舗にて皆様をお待ちしてます。

恵比寿店がオープンして

ドキドキする日々が、続く。



どんな毎日を過ごすのかなんて、結局は全部

自分次第。



私が何を、どう思うのか。



それに、かかっているんだということ。



スタートのメンバーは

仲良しの後輩の、ワカコと

お客様だった、足立さん

そして実の妹の、妙子。



こんなメンバー、楽しくないはずがない。



仕事をするのは

誰とするのか。

それが、本当に大切なのだと思う。



もちろん毎日一緒にいて

毎日毎日を新鮮に過ごしていくモチベーションを保っていくのは、そんなに簡単ではないことも、知ってる。

知ってるんだけど

それを、ちゃんとこなしていきたかった。



日々

スタッフたちの話を聞きながら

いろんなことを考える。



私たちが求めてる姿って、どんなだろうね?

どんな状態を、求めてるんだろう?



ライフスタジオの1つの店舗をつくること。

私のこだわりをもった、大切な空間を、つくること。

これは、私にとって、とてもとても大切で

価値のあること。



じゃあ、その次は?



同じ思いで仕事をしていける人たちと一緒に

新しい何かを探していくこと。



李社長がいつも言っていた。

日本には、あったかい人との出会いを求めてきたんだって。

もちろん、いろんな表現の仕方があって

受け止め方もそれぞれ。

だけど私は

李社長と共に過ごしながら、本当に、心から、そんな人との出会いを求めているんだって言うことを

知ってた。



そしてそれが、

私への最大の望みであることも、感じてた。

少なくともそのときは

私にその責任があるんだと思っていた。

だから、必死だったんだと思う。



どこにいるんだろう?

社長と考えを

心から、共有できる人って、どこかにいるのかな・・・・・・・・・・・



そんな、思い。



人間は

そんなに単純ではないけど

それでも

私は直感で生きる人。

今までその直感で、生きてきた。



話せば長いけど

結局のところ

12店舗目にオープンをした、新松戸店。

新潟の、photo house veryveryの代表である、内山さんと

2年間、いろんな話を進めてきながら

関東で、一緒にライフスタジオをやることになって。



私のできる限りのこと。

新松戸には

恵比寿店と同じくらいの思い入れを持って、かかわってきて

オープンのときは、私も店舗にスタッフとして入って

とても、新鮮な時間を過ごした。



久し振りの店舗での毎日。

スタッフの教育だったり、やることはいっぱいあった。

だけど

私自身が特に努力をしなくてもできること。

だから、

そんなことをしにいく理由があるのかな・・・・って

毎日毎日、自分の役割分担を、必死で考える。



だからきっと、

撮影に、たくさん入った。

裏方で、

自分が抜けても大丈夫なようにシステムとか、いろんなことを教育するのではなく

私が感じる、お客様とのつながり。

私が思う、関係性の作り方。



自分の店舗以上にたぶん

そこに、想いを持っていた理由。



ライフスタジオに想いをもって

オープンしたときの想いを、共有できる相手がいるということ。

私はオーナーだから

恵比寿では、必死でスタッフにそれを求めてた。

だけど

新松戸では、私がスタッフだったから

必死で、一致させる努力をしたんだと思う。

ちょっと笑えるくらい、わりと必死だったんだ。

撮影も必死

だから、お客様との会話が、とてもとても忘れられなくて

青山を最初にオープンしたときのドキドキを、本当に思い出した。



自分のスタジオのときとは違うドキドキ。



それってきっと

誰かと一緒に、何かをしているという、思いなのだと思う。

ただそれだけなのだと思う。

ライフスタジオって

こうだよな・・・・・って

大切なのは、これだった・・・・・って

そんなことを、思う時間を、過ごした。



うまく言葉にはできない。

きっと、言葉にしても、人によって伝わり方が違う。

そんなの当たり前。

だけど

このときの感情は

本当にうまくはなせないんだ、いつも。



思ったことは、自分に、もっと素直になろうということ。

ライフスタジオでやりたかったこと。

きっとこれだったんだって、思ったの。

だから

私が悩んできたいろんなこと

きっとそれは、とてもとても、単純なことで

そんなことは、重要じゃないんだということ。



それはきっと

ライフスタジオであるべきとかそういうこと。

名前の問題ではなくて

想いの問題なのに

何かに執着して、固執して、自分の中のしがらみを、もっともっと強くして

自分でその鎖を強く強くしていって

がんじがらめになっていたんだと、思ったんだ。



毎日

いっぱい笑った。

そして

毎日、とてもとても充実をして

楽しかったんだ。

久し振りに、素直になって

楽しいと感じて

自分のおかれた環境が、とても恵まれているのだということを、知ったんだ。



いろんな人の支えがあって

こんな環境で、私は何かを得ることができて

それは

1年以上苦しんできた何かに対する、答えのような、そんなものだったのかもしれない。

そんなことを思って過ごしてた、毎日。



寒くなって

夏のインテリアがうそのように

とってもとっても寒い冬。

笑って、過ごそうと思ったんだ。



李社長から電話がきて

たくさん

泣いた。

たくさん泣いて、自分の思いを伝えたのも

新松戸にいたときだった。

でも

李社長に対して

素直に、冷静に、自分の考えを話せなくなってた時期だったから

とても久し振りに、すっきりと、

前を向いている自分を確認しながら、話をすることができたんだ。



日々の変化は

いろんな決断に

とても大きく作用するということ。



あまりにも大きくて

あまりにも大切なことを

たくさんたくさん、学べた期間。

ライフスタジオをやってきて

いいものをつくったな、なんて、思ったりしてたんだ。