これまでの私の記事を読んでくださった方はお察しかと思うが、自閉症の兄を持つ私は、それなりにしょっぱい学童期を送っている。

黄色い帽子をかぶった「仲良し学級」の子供たちは、「わー、ぺんちゃんが来た、逃げろ~」などと表だってバカにされ避けられる時代だった。
ここで言うぺんちゃんとは、当時近所で有名だった知的障害の女の子のことで、ルンペン(浮浪者)のにおいがすると、このようなうれしくないあだ名で呼ばれていた。

子供ながらにこれが蔑称だということがわかったし、特に他害をする様子もない彼女をわざわざ煽動するような物言いをする光景を見るにつけ、泣きそうな気持ちになり、実際泣くことももちろんあり、当然このような体験から兄のことを友達にもほとんど明かせずにいた。

転機が訪れたのは高校生のときだった。
2年で同じクラスになった友人に思い切って打ち明けたとき、彼女は言った。

「神様は乗り越えられる人にしか試練を与えない。カンナは選ばれた人だから大丈夫だよ」

泣いた。
思えば母も飄々と立ち向かい乗り越えていたのを目の当たりにしてきたではないか。

こんなことで選ばれたくなかったという思いもあったが、今に至るまでのさまざまな局面で、気持ちが落ち込んだときのお守りのような言葉となった。

私は大丈夫。
私なら大丈夫。
私だから大丈夫。