先のブログ記事を書き始め、かつて研究生として籍を置いていた劇団のHPを久々に見た。
随分と様変わりをしていた。
カウンターが読み込みエラーで表示されないw
そんなことはどうでもいい
驚いた、所属研究生から同輩が一切居なくなっていた。
もっちーも、まさみんも、ともみ姐さんも、先輩方も。
思わずグーグル先生に尋ねたらその劇団のブログの過去記事しかヒットしなかった。
自分がクビになった年の公演しか観に行かなかったのを後悔した、こんな事になってるとは思わなかった。
2007年の4月、専門学校を卒業した僕らは2年間指導して頂いた先生の劇団の門を叩き研究生となった。
その劇団は先生とその奥様が主宰・副宰として運営・公演をし、研究生を招き稽古をし公演に出てそこから劇団員に採用するという小劇団だった。
僕らが入る前にも2人、同じく専門学校を卒業し研究生になった先輩達がいた。
そして僕ら卒業生とは別に大学に通いながら研究生に入ったコガ君も加わり10人大になった劇団はその月から年末の公演に向けての稽古を開始した。
しかしうまくは進まなかった。
安定しない稽古スケジュールに仕事が重なり参加できないメンパーが出てきた、俺もその一人。
そして早い梅雨の到来を感じる傘を手放せない日々に体調を崩す者も出てきた。
台本の読み合わせだけで過ぎ去る3ヶ月に主宰の焦りと苛立ちは研究生達にも目に見てとれていた。
結果、2007年の7月。俺を含める4人の除籍勧告が稽古始めに行われた。
学生気分の抜けきらなかった者が離れることになった。
「奈々原はこれが最後の稽古ですがこれまで以上の物を出して呼んでください」
はいと威勢よく返したが汗が止まらなかった、帰りの代々木への道で一人泣いてしまった。
一週間後、フルキャストが地方で行った港湾業務違反により派遣業務停止命令が出た。職無しになった。
その後すぐ他の派遣会社に登録、先々月までに3年間お世話になった。しかしまた職無しになった。
三年間の間にもう一か所養成所のお世話になった、だが安定しない過酷な業務と研究費未納でここも辞めることになってしまった。
劇団のブログを検索すると一人は個人的事情で辞めたらしい、あとの皆が分からない。
アドレスは持っているが突然の連絡は向こうに混乱を与えるだろうからしたくない、残っていた者にも身体が弱いものがいたからだ。
いらぬ心配は与えたくない。
八王子校の声優俳優科12期生俺を含めて120人、プロに交じって公演パンフレットに顔写真が載るほどの大出世を果たした者もいれば実家に帰ってしまった者もいると聞いた。
残念ながら俺も極一部すら把握できていない、mixi検索したらママになってるのもいたよ!?
はたして次の世代が卒業する3月には俺はどんな状況になっているのだろう。
P.S.mixi同級生すげーな!えらいhit率で当時の同級生が見つかった!コンタクトしてねーが・・・