きいろの片想い ~二宮和也ずぶずぶニッキ~

きいろの片想い ~二宮和也ずぶずぶニッキ~

二宮さんへの愛をつづる しあわせなニノ時間。

溢れる愛がとまらない。
リアルではとても人に言えない本音を吐き出させて。

2016、そこらじゅうに愛を大放出して生きていきたい。
お仲間さん、よろしくー!


もう胸の内だけでは抱えきれない。 



 かと言って、夜通しファミレスで話せる相手もいない。 




 そうだ、文章で書き起こそう。







 にの担は、供給が多くてほんとにありがたい。

 嵐が休止してからも、テレビやYouTube、X、見ない日はなかった。



 ありがとう。



 2019年を経験した私たちは、今、この日がずっと続くなんて思ってはいなくて、いつかくる終わりの日に怯えている。 


 さらには、まさか休止中にジャニーズがなくなるなんて、あの頃、誰も想像してなかった。まさに天変地異。


 他界隈に転生したヲタクたちも皆、一種のトラウマを抱えて、今日も精一杯誰かを推してるんだろう。



 "来年もあるなんて思うなよ"と、私が私を脅す。





 私たちのライフステージが変化しても、とんでもないことが起こってても、テレビをつけると"嵐はいつもそこにいてくれる"それがいちばんありがたい、そう思っていた。

 これは多分何回もブログに書いてたと思う。



 いつも、変わらない姿でいてくれた。 



 まぁ、生きてるんだからそんなわけはないことに気付くのは、それから何年も先だったけど。 






 KAT-TUNのラストライブを終えて、もうしんだかと思ってた美女たちが墓場から起き上がり、魂の声をぶちまけてたの目の当たりにして、私も書こうと思った。 


 私はやっぱり、ヲタクが好きなんだよね。狂ったヲタクも、炭火のように燻り続けるヲタクも、すき。 


正直、対象の俳優やアイドルに興味はなく、そのヲタクのヲタクみたいになってる。


 なんて話しは置いといて。 





 数々の悪夢を経験した私たちは、いつだって、これが最後かもしれない精神で推しを観てるんだけど、 



嵐の二宮さんをみれるのは、これが最後。 

最後かもしれない、ではなく、最後。 



 あかん。ちょっと想像以上にダメージが。「休止」と「終了」の違いってこんなにでかかったのか。


 茶の間で満足してたのに。なんなら、もう知らなくても平穏だったのに。なんなん、この寂しさは。 


私なんて、そんな熱心なヲタクでもなかったけどさ。





 "時間をかけて、終わらせてくれたこと。"



それはきっとファンの心を案じてのこと。 


 その優しさは、大当たりで、みんなそれぞれに心を整えて、想いの濃度を薄めてきたよ。 




 だから、静かに暴れてる。

 ひとりで、こっそりと。 







 2026年6月なんて、永遠に来なければいいのに。