目指すはマイクロ鉄道評論家「ヂン」 -3ページ目

目指すはマイクロ鉄道評論家「ヂン」

ここではわたくしの鉄道に対するネタを主体とし、日本の旧国鉄~すなわちJRのここが良い悪いを論ずると致します。鉄道マニア必見。車ソレ有り。返事は答えにくい場合できませんのでその辺はご了承願いますト

今日は春になろうとしてる~もうじき「ピッカピッカの一年生」の頃の話をしたいと思います。

この事は後からオフクロに聞いた過去の話ですが、オフクロの姉家族が一家で突然笹川駅で立ち往生していた、と。そもそも貧困で浜大津の叔父さんが独りでウチの実家を訪ねて行ったのであるが結局叔母さんと従兄弟も後から追いかけて鈍行で千葉まできたらしく、最終的にウチの親は驚いていたらしい。

わたくしは当時遊びにでもきたんだなぁ、と当時は思っていました。従兄弟と追いかけっこをしたのを良く覚えていたからであるし~

要するに割に合う仕事を貧困の中で探したかったので手を借りにきたとの事でした。ウチにくつろいでいる中で彼らが去る最後の日にはかなりヤバい一面も~

そんな中、叔父さんは都内で働く事を決意できたらしく、わたくし達家族は彼らを都内まで送りに行くことに(^ー^)



模型にて失礼ではあるが、午後の佐原駅から特急「あやめ」に乗り、窓側にひとつ下の従兄弟(男)と並んでわたくしは通路側に仲良く座りました。彼は貧困な心境にもめげずにハンバーガーを美味しそうに食べていたのを覚えています。車窓で記憶あるのは久住駅の駅名ボードが文字の消え失せで汚かった記憶があります。

さて、東京駅に着いて「あやめ」は回送され、その後従兄弟たちとどのようにしてお別れしたかは覚えていません。ウチら一家だけで東京駅地下商店街をさまよい歩いたのは覚えています。

東京駅地下ホームに戻り帰宅するわたくし達は快速113系の4号車クハに乗り、運転台同士が連結する幌を監視した記憶があります。その列車は錦糸町駅で降りて両国始発の急行「水郷」に乗り換えて地元へ帰ってまいりました。



急行の車窓ではすれ違いの特急「あやめ」を見たり、車内でも外が夜暗い中、家族ではしゃいだりなど楽しい思い出となりました。

オフクロの姉家族とはそれきりで8年も会う事がなかったのは残念でしたが~

現在では叔父さんは事故死で20年ほど前に還らぬ人となってしまった他、叔母さんや従兄弟は今でも元気で何よりでした。

彼らとは今後いつ会えるかはわかりませんが、きっと会えると信じているのが今のわたくしの心境です(^o^)