私に嫌われてるって思ってるんでしょうね。ええ実際その通り。

ただそのこれ見よがしなよそよそしい態度、やめていただけませんかね。

なんで私がそっけなくなったのか胸に手を当ててよく考えてみろよ。

そもそも、そんな被害者面されるほどひどい対応とってないと思うけど。

挨拶もするし、話しかけられれば答えるし、ラインにも返事してるでしょうが。


私が世間一般の通念上の「普通」とは価値観や考え方がずれているのも

そしてそれがある種の場面では隠すべき失陥であることも分かっているし、

いろんな形でそれを指摘されること自体にも慣れている。

ただ、たとえ冗談の衣をまとっていたって毎日毎日会話の度に頭がおかしいとか変だとかいちいち言われ続けたらさすがに腹立つんだよ。

何か話したら変って言われて、私がいる前で他の子にあの子は頭がおかしいよねって言われて、好きなもの聞かれて答えたらやっぱり普通じゃないって馬鹿にされて、他の子と楽しく喋ってるところに割って入られて今度は何をおかしなことを言ってるのかと言われて、どうしてそんな人に私が笑顔向けて話せると思ったの?

本人的には面白い茶々を入れたつもりで、そんなこと言えちゃう俺と君は仲良しーって考えてるみたいですけど、全然違うから。むしろ地雷真上から踏んでますから。

私が周りと違うってことでどれだけ悩んできた過去があると思ってるのか。人を馬鹿にしやがって。

私が好きな本も音楽も漫画もアニメも映画も趣味も考え方も価値観もなにもかも私を構成するものを選ぶ基準は全て、本当に私がそれを好きだとか正しいと思えるかどうかだ。

人と変わってたいからとか、そんなくだらない理由で選んでるんだろうと勝手に思い込んで、私や私の好きなものを嘲るのもいいかげんにしろ。

私が小さいころ、周りの人と全く話が合わなくてどんなに辛い思いをしたと思ってるんだ。

周りの人と同じものがどうしても好きになれなくて、興味が持てなくて、自然に輪の中から排除されて、それでも皆と遊んだりしたかったから皆の話題のものの良さの意味がしりたくて理由を聞いたら、裏であいつはおかしいから私たちとは違うからって言われて仲間はずれにされた小学生のころの私の気持ちがお前に分かるのか。

あのとき皆と同じになれればどんなに楽しいだろうかと思った。

モーニング娘を聞いたり、名探偵コナンを見たり、けばけばしい小学生がたくさん載ったファッション雑誌を読んだりすることを自然に楽しめたなら、私も皆と一緒に遊べるのかなあって毎晩思って、モーニング娘だって聞いたし雑誌だって買ってみたしやれることはやったけどどうしても良さが分からなかった。

皆と仲良く遊ぶことが理想の小学生にとって仲間はずれにされた寂しさや辛さはダイレクトにくるし、やっぱり私って欠陥品なんだろうかと思う度に死んでしまいたくなった。

だから学校の休み時間はだいたい一人で本を読んでたけど、それでも本を読んでるときだけが楽しかった。

そんなとき初めて村上春樹を読んだ。よく揶揄される「やれやれ」型の主人公だけど、あのときの私には輝いて見えた。やれやれって諦めてもいいんだと、「普通」な人と無理矢理同じにならなくてもいいんだと、それどころか逆に周りと距離をとったっていいんだということを知って、私自身を肯定するひとつの道筋が一気に開けた気がした。私にとって、救いそのものだった。

それでも心から自分はこれでいいんだって思えるまでには本当に時間がかかったし、正直にいえば今でも少し辛くなったり悩んだりするときだってある。

だから。だからこそ、私のことを一ミリだって分かってないし想像できもしないあんな奴に毎日毎日毎日毎日何の気なしに精神の傷に通じる言葉を言われ続けることが我慢ならない!!私が今までひとつずつ積み上げてきた、周囲の世界とある程度平穏に渡り合える心のバランスの微妙な取り方を、笑いながら邪魔してくることが!!!

お前に何が分かる!!!!お前に私のなにが分かる!!!!!!私がどんな思いであのときそんなことないよって言ったのか、想像力の欠乏したお前に!!!!!!!!


最初からお前とは距離をとっていたかった。

肩はフケだらけなのに気にする様子もない。顔の皮膚は粉がふいていることもある。そんな衛生状態をさらしておいて平気でお風呂嫌い発言を皆の前でできる神経。

同期の間はもちろん、上司の人から教えてもらっているときだろうが社長や役員とのミーティングだろうがで平気で肘をついて爪をずーっと噛みながらタメ語で話に割って入る。一瞬前まで爪を噛んでいた手で平気で断りもなく人のものを触る。体が覆いかぶさるような距離まで平気で近寄ってくる。

四六時中自虐風自慢をしていたいがために人の会話に突然無理矢理入り込んで会話の流れも考えず自分のしゃべりたいことだけを話し自分の気に入らない返答は無視する。逆に誰からも反応がなかったら「ひとりごと」と称して誰かが反応するまで大きな声でしゃべり続け、返事をすると「独り言だったから○○に話してたわけじゃなかったのにー」と言い訳する。

仕事の時間を割いてまで教えてくれている上司の人に向かって「めっちゃ仕事できるんですね」「さすがですね」など超上から目線で話す。

これがいい歳した人間のやることか?

それでもそれでも私はお前が同期だから、ずっと付き合っていかなければならないから、お互い嫌な思いはせずにすむように、感情をできるだけ抑えて公平な対応を心がけていたんだよ。

私のなんとか耐えていた分水嶺を越えさせたのはお前自身の言動だよ。

悪いけど私は君に対してなにごともないような笑顔で接することはもう到底できそうにないよ。

私は狭量だからすぐ人に対してイライラしたり不満を持ったりするけど、それとは別に第三者の目線はいつも持つようにはしてる。心底腹が立ったって、表にそのまんま出すことは少ない。大嫌いな人とだって、ある程度なら笑って世間話ぐらい普通にできる。すぐに相手に対して不満を覚えるかわりに、その不満をどう処理すればいいかも分かっているからなんとかなる。実際ゼミはそうだった。

ただ、一度本当に無理ってなったらそう簡単には戻れない。これは自分で言うのもなんだけど、あんまりないことだ。すくなくとも高校と大学時代にはなかった。そんな最後のボーダーラインを越えた。もう耐えられない。


そしてあの子のことは好きだけど、やはり心からは分かち合えそうにない。

体育会系特有の、私は悪口を言っているのではなくてその子のためを思って問題点を指摘しているだけなのだ、だからこれは正義なのだ、正義だから裏で言わずに本人にストレートにぶつけたっていいし、むしろそれがえらいんだ、みたいな精神は私は好きになれない。

だいたいああいう奴らは、「公平な目線で見て問題点があったのでその子のために注意してあげます」みたいなお題目を掲げたら、客観的にみたらどんなにひどい悪口をぶつけても許されると思ってる。あいつらのいう「指摘してる」現場を見たら一目瞭然、あんなもん本人の前で開催してる悪口大会そのもの。配慮なんてもんはない。自分の怒りを自己都合だらけの甘美な「正義」の名のもとに発散できりゃいいんだから。

そいつに対する悪口や怒りを膿んでいる自分の心には全く目を向けないで、自分ごと合法化されてるようなつもりになってんだ。笑止千万だよ。あまつさえ、悪口や陰口言ってる子に偉そうに注意したりするんだ。やってることは一緒なのに。くだらない。

そしてもうひとつ好きになれないのは、その精神をそのまんま今も引きずっていること。本当にくだらない。そんなものはあのお仲間との間だけにしてくれよ。私を巻き込まないでくれ。


時々本当に自分が二人いてくれたらいいのにと思う。

一度外に出さないと思考が整理されないけれど、ああいう苦手な価値観の人に向かって話したってどうせ批判されたり私が嫌になって終わるだけなんだから意味がない。

整理し終わってから対策を練るにはいろんな価値観の人と話すと良いのかもしれないが、感情の海に溺れた状態で思考をまとめるにはハードすぎる。

うまくいかないもんだなあ。