病院に通う前までは不眠に悩まされていたけど、今は真逆で寝過ぎに悩んでます。
薬のコントロールがうまくいかなくて、頑張ってるんだけど9時間ガッツリ寝ないと
体が思うように動けない・・・

6時半、7時半、8時半と3回目覚ましセットして、その都度止めるんだけど
頑張って頑張ってやっと8時半になんとか体を起こせる感じ。
寝る時間は20時に寝ようと、22時~に寝ようと結局今は薬で寝てる感じなんだと実感する。

今日は朝早くから職場の人からのLINEと電話で起きれた。
最初はうざいなぁって思って電話に出るの躊躇ったんだけど
出て良かった。
1時間位だらだら話しして、切る頃にはすっかり朝の寂しさから開放されていて
「電話くれてありがとう」ってLINEした。

母は何事にも感謝する人だった。
生前は「プラス思考過ぎて図々しい!」ってよく言ってしまっていたけど
今となっては母の生き方を見習おうと思ってる自分がいる。
電話の相手は、たいして仲いいわけでもなく暇潰しでかけてきたんだろうなって
思っていたけど、結果的に私にありがとうと思わせてくれて、感謝ニコ

今年は新盆になるので、母が毎年頑張っていた草むしりをやったりしている

ドクダミがモッサリ草草草生えて嫌になるぅ~~~えーん



母が越してきた時に、私は庭を前面コンクリートにしようと言っていたんだけど
母は土いじりがしたいビックリマークビックリマークビックリマーク
と譲らなかったので、私は庭に関して一切やらないからって事で
色んなものを植えていた母だったので、1人残された私は後始末が大変だ汗


こういう嫌な思い出も、母の思い出のひとつで
草むしりを終えて一息つくとまた涙が出る。


あぁぁぁー痒いドンッ
蚊に刺されたみたい・・・
完全防備して挑んだ草むしりだったけど、やっぱり食われたかダウンダウンダウン

 

 

久しぶりに病状の事を書いてみる。
まだ思い出すと泣いてしまう日々が続いてるので躊躇してたんだけど
今日は月命日なので、思い出したくて書く!って感じです。

18日の朝早くから母からメールがあり、退院出来るから早く来て欲しいとの事。
病室に着いて、H先生から検査結果の用紙を渡され説明される。
膵臓に異常見られず、悪性リンパ腫の疑い。
胆嚢に5cm位の腫瘍あり。

飲食は12時からと言われ、清算して退院。
次回は病理検査の結果を聞きに26日に予約をする。

病院から出た後、母が行きに楽しみにしていたうどん屋さんにと思っていたが、
ご飯が食べたい。やよい軒の沢庵が食べたい。
と言うので30分ほど走らせてやよい軒へ。
とても食欲が無かったとは思えないし、母自身もおなか空いてはいるけど全部は無理そうだ
と言ってたのに一人前ペロリと食べた。
母の食べてる姿が本当に嬉しかった。
やっといつもの母に戻った!って思えて嬉しくてたまらなかった。
けれど、これが最後のちゃんとした食事になってしまった。


帰宅してから・・・
母方の従兄弟は早くに悪性リンパ腫で亡くなってるので
母としてはお兄さん(私にとって叔父)に報告するのを躊躇っていた。
私から話すように頼まれたが、断った。
泣いてしまって話せなくなる。その姿を母が見たら余計辛い思いをするだろうと。
それなら母が思いっきり泣いた方がいいと思ったから。

病名を知った時も、愕然としてショックだったはずなのに
私の前で泣かなかった母。
泣きたいだろうにと思ったけど、叔父に話す時も母は泣かずに
「○○(従兄弟の名前)と同じ病気になってしまって、ごめんなさい」
私は側にいてあげる事だけしか出来ない。
その割りに何を話ししていたのか上の言葉だけしか思い出せない。

叔父からは何事にも動じず、明るく自然体で!と言われたそうだ。
信頼している、ただ1人の兄に言われ、母も電話を切った後に
「さて、韓ドラでも見るかな!」と自然にしていた。
私は病気について母と向き合って話し合いたかったのだけれど、
この日は母の気持ちを尊重し、セットしてあげてから自分の部屋に行った。

自分の部屋に入ってからパソコンで、悪性リンパ腫と膵臓癌について調べた。
母が症状を訴えた元旦の日は胃がんについて調べて、当てはまる事が少なかったから
ガンではないんだ、と安心していたのに・・と思いながら。
まず調べたのは胃がんと同じく初期症状から。
調べれば調べるほど不安になる。
この日から徐々に私は睡眠障害になっていった。