最期の曲に未発表曲のマイナーキーの切ないバラードを入れた。

ガチに悲壮感漂う作品になってしまった。

何も楽器を最初に買って持った時にはこんな方向性の

音楽をやるつもりなんかなかった。ただ「オリジナル曲を創ろう」

という意志だけは人よりも何倍も強かった。

見よう見まね、ならぬ聴こう聴く真似で創り始めたが歌詞の

段階になると自分の実体験からの出来事がメインになり、
そしてその殆どがネガティヴな出来事だったので、

バンドも固まりオリジナルの曲メインで活動し始めた時から

「キワモノ」系統に思われることが多々あった。

最初のCDをインディーズでリリースする時も契約した

全国のCD屋に流す流通会社は既存のありがちなROCK、POPSの

商品ばかりを取り上げているのに少々ウンザリしてたようで

自分の曲が「キワモノ」でありながら「楽曲」としてキチンと

興作されているところを尊重してくれてかなり良い条件で契約してくれた。

それが確か今からちょうど年齢の半分の24歳ぐらいの時。

今は契約した流通会社は倒産して全国のCD屋に流すことが

難しくなってきてしまった。というよりそれらの過去の作品の

出来に満足していないので流していない、というのが本音。