[シリーズ70年代の新宿,ロック喫茶ライトハウス]の2


『デビッド・ボウイ初来日の頃』-その7

7.

僕は座席を立って一番後ろのカーテンの前に座ってボウイを見た。

ステーション・トゥ・ステーションの演奏が始まると、ステージに置かれていた真っ黒なグランド・ビアノがまるで機関車のように武道館の天井をシュッシュッシュッシュッと走りまわった。僕が重いカーテンを開けてやると、汽車は武道館の厚いガラスの窓を突き抜けて、まるで銀河鉄道のように東京タワーのほうに走っていった。

あのときはバック・バンドにギタリストのミック・ロンソンはいなかった。ジギー・スターダストまでかな、ボウイと一緒だったのは。

もう何年前になるだろうか、ミック・ロンソンがエイズで死んだという記事を新聞で読んだ。ソロ・アルバムのジャケットの、金髪のハンサムな顔を思いだして、ああ、やっぱりそうだったんだ、と思ったものだ。

ストーンズにロン・ウッドが入って追い出されたミック・テイラー
。美男の彼とミック・ロンソンが組んで作ったアルバムがあった。ジャケットを見ながらシノブは良く言ってた。「私のミックはミック・ジャガーじゃなくてミック・ロンソンとミック・テイラーなの」って。ロック・ギタリストは音やテクよりも顔よ、ってね。

1978年。ビデオの黎明期のことだ。映像氷河期の終わりが近付いていた。

[つづく]


注:1978年頃をビデオ黎明期と表現しても、今では何を言ってるのかワカラン人が多いでしょうね。このテーマについてはまた稿を改めて書くことになります。

[次回は、付録,デビッドボウイ債]