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パトリス・ル・コント監督の映画「仕立屋の恋」。このシリーズを書くまで知りませんでしたが、原作者はジョルジュ・シムノンだという。



冷たい目をした中年の男がじっと若い女の一挙手一投足を追う。カメラのような目。あるいは、小鳥を狙う鷹の目・・・・恋の情熱に燃えている男の目ではないと思いましたね、ワタシは。


恋の字はいらない。「仕立屋」というタイトルに変えたほうがいい。そうすれば映画の中身と題名から感じる違和感はみごとに解消する。そう思わせられる映画だった。


シムノンが娘のマリーとフィレンツェに旅行したのは62才の時だ。62才の父と12才の少女=実の娘。

フィレンツェが栄えたルネサンスの時代。神が至高の座から下りて人間が復活した時代。人間性が謳歌された時代だ。


この時代は毒殺と近親相姦が流行した時代でもあった。



(8)
話が少し暗くなりましたね。雰囲気を変えましょうか。


時よ、止まれ。おまえは美しい。「ファウスト」の中の台詞。不朽の言葉だ。


少女には時を止める魔力があるとでもいうんでしょうかね。ゲーテがいい年をし て十代の少女に恋をしたのは有名な話だ。


近いところではザ・フーのピート・タウンゼント。彼も少女の魔力には弱いらし い。少女ポルノの画像をダウンロードしたのがバレて赤っ恥をかいた。もう自殺 しようかと思ったよ、なんて述懐してたそうですが。


シムノンのスキャンダルもこのレベルの話で終わっていれば、ミステリーの大家 にして性の大豪という名を留めるだけで済んだかもしれませんが。


さて。シムノンの性生活について書いてきたついでに、フローベールとチェーホ フにも触れてみましょうか。


2人とも偉大な作家だ。謹厳というイメージもある。だが彼らもやはり人間。謹 厳一方ではなかった。


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チェーホフは極東に旅行したとき、当時、日本の領土だった樺太(サハリン)に渡って女郎屋に立ち寄り、娼婦を買ったらしい。女郎屋の名前? もちろん桜の園、なーんて。(広樹さん、期待に沿えずスミマセン)


フローベールは「サランボー」という小説を書いている。地中海の覇権をローマと争ったカルタゴの滅亡について書いた歴史小説です。彼が取材でアフリカに渡りエジプトに行ったとき、ベリーダンスを楽しんだ。その夜、ベリーダンサーと一夜を過ごした形跡がある。これは彼の日記に書かれてます。


ゲーテは晩年、自分は年を取るごとに美点は増してきたが美徳は薄くなったと語っている。


人間は生まれた時が一番純粋無垢。その後は真っ逆様の墜落だと言う人もいる。


いまだに現代小説としての輝きを失わない「悪霊」を書いた不世出の作家。ドストエフスキーにも性的スキャンダルの話があります。当時の貴族が持っていた初夜権にまつわる話だ。伝記や評論で読んだ人もいるはず。ここには書きません。


一生童貞?だったと思われるカフカがシムノンの性生活を知ったらなんと言ったでしょうね。


1万人のカフカと1人のシムノン。計算上では、これでやっとキリスト教が理想とする一夫一妻が実現しそうなのですが。(完)


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