(6)
哀れ、ワタシが愛用してきたマウンテン・バイクはパンクしていたんです。もう2週間ほどパンクしたままです。

今年になって3度目のパンクだ。もはや刀折れ 矢尽きた。落日の時である。

ブレーキで痛めつけられた後輪はボロボロ。繊維状のホツレが寄る年波を雄弁に物語っている。ガムテープ、ゴムチューブ。考えられる限りの延命治療をしてきたんですが、もはや限界。これ以上は何をしても彼女を苦しめるだけです。

彼女は今、壁に静かに寄りかかりながら、私の重みを懐かしがっている。

あなたに会えてよかった。生まれ変わったら、きっとまたあなたと添い遂げたい。そう言ってます。

彼女は後妻のマウンテン・バイクだった。前妻? 夕食後にテレビを見てる間に盗まれました。夏で窓もあいていたのに。庭先から。見事な泥棒だった。っていうか、馬鹿なヤツだ。自分がやったことは一生自分についてまわるのに。

教訓を得たワタシは後妻は安く買い求めることにしました。拉致されても諦められる金額。それが後妻を入れるときの基準だった。スタイルも色も好みもヘッタクレもない。

結局、後妻にしたのはスーパーで買った6000円ぐらいのマウンテン・バイクです。マウ、で終わる金額だ。

それなのに約10年間。このマウンテン・バイク。よくカシヅイテくれた。若い魔夜美ちゃんなんかカシヅクってナニ?って言うでしょうが。

私と彼女は相思相愛の仲であった。ワタシの求めを断ったことは1度もない。いつでも快く乗せてくれた。ホントに可愛いヤツであった。

あれ、話が一歩も進まなかった。



(7)

花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

有名な詩ですね。これは井伏鱒二の超訳。原詩は唐の于武陵(うぶりょう)の五言絶句、「勧酒」です。

思えば花の季節の別れであった。思えばマウンテンというバンドもなくなった。

ワタシは最愛のマウンテン・バイクに一瞥をくれると、涙をのんでママチャリに乗った。

ところで。

片仮名のリとンは似てますね。片仮名のソとンや、片仮名のラと平仮名の“う”ほどではないが似ている。

仮にワタシが間違えてですよ。ママチャリに乗ったと書くところをママチャンに乗ったと書いたらどんなに顰蹙を買うか。ワタシとモモジのイメージがダブッてしまう。間違えないでヨカッタ。

それはともかく。第2の発見です。

2. あの日はママチャリを使った。

そして家から6分34秒26の旅でワタシは公園についた。公園の入り口でピーター・オトゥール演じるロード・ジムのように空を見上げたワタシ。

ほのぼのと白く 花が空を埋め

花は桜です。これは小樽出身の作家の若いころの詩の一節です。

ホモ・セクシャルの俳優はどうして中年を過ぎるとダメになりがちなのか。アラビアのロレンスから以後、階段を駆け上がるように、じゃなくて駆け下りるように落ちていったピーター・オトゥール。

ケビン・スペーシーもいよいよダーク・ボガードに似てきたしなぁ。心配だ。

どうでもいい他人のことを心配する心優しいワタシは自転車を押して坂を登り、時計台のあたりで鳩に襲われる。ホモ・セクシャルのスターの将来を心配していたのがイケナカッタのか。キアヌ・リーブスの心配はしなくていいのか。鳩は答えず、なーんて。


(8)
鳩が20羽以上いる公園には必ず鳩オジーサンがいる。

これは法則です。この法則を発見したのは10年ぐらい前です。公園歴20年半ばでの偉業だ。

周囲2キロ以上の公園の片隅には必ずクラリネットを吹いてる人がいる。この法則の発見者もワタシです。いずれノーベル財団からナンラカの話があるはずだ。

そんな腹積もりでいたらですよ。2~3年前に法則の一角が崩れた。ワタシのノーベル賞をフイにする男が現れた。なんと、我が街の公園に鳩オジサンが出現した。

鳩オジーサンから鳩オジサンへ。ーが無くなった。横の棒が一本減っただけでお約束のノーベル賞が飛んでってしまった。いずれ村上春樹が取るんでしょうね、ワタシの代わりに。

この公園で鳩に餌をくれているのは、ワタシの観察だと三代目です。初代と二代目は法則にかなった鳩オジーサンだった。今の鳩オジサンは三代目です。襲名披露? やりませんでした。だから脱税もない。クリーンな交代だった。

今の鳩オジサンは年格好が、そうですね、35才前後。小太りでこぶ平に似てなくもない。襲名披露があったらきっと脱税したでしょうね。

とにかく先代たちよりずっと若い。何が不満で、いや何が面白くて鳩に餌をやっているのか。毎日ママチャリの前のカゴに鳩の餌を一杯に入れて、わりと不景気な顔で公園に現れます。

その彼の縄張りが公園の時計台の下なんです。ワタシが鳩に襲われた現場だ。

[続く]