園客列伝の1 『デモナイ君』
4.儚さの楽器バトウキン
デモナイ君が前のベンチで外来の楽器と格闘しているあいだ、私のほうは公孫樹の木の下を右に左に、前に後に。銀杏を拾って歩く。滞在時間は平均して5分位ですがデモナイ君は私が気になって気になって仕方ないらしい。時折り振り向いて私をチラ見します。
私を好きになってしまったらしい。
そんなことが度重なるうちに、いつか私とデモナイ君は心の中で会釈しあうようになった。気を許し合う仲になった。
で。先日のことです。ちょうど園客列伝の1にデモナイ君のことを書いてる最中ですから、私は彼の後ろから、いや前から近付いていって聞いてみました。
『それはなんて名前の楽器なんですか?』
私の質問にデモナイ君はウレシそうに答えてくれた。
『あっ、これですか。バトーキンっていう楽器です』
『バトーキン? どんな字を書くの?(まさか罵倒菌じゃないよね。私の心の声)』
『馬の頭のキンです。琴です』
『ああ馬頭琴ね。中国の楽器?』
『いえモンゴルです』
『ああモンゴルね。なるほど』
モンゴルといえば騎馬民族の国ですからね。馬頭琴という楽器があるのも頷ける。
千閣乃公園の空気はモンゴルと違うからか。デモナイ君が弾くと音がしない。
帰宅した私はさっそく奥さんに報告しました。
『僕がよく噂してきたデモナイ君の楽器ね。バトーキンって名前らしい。モンゴルの楽器だそうだ』
馬頭琴なんて楽器、私はまったく知りませんでしたから、当然ウチの奥さんも知らないと思っていた。そしたらオドロイタ。
『ああ馬頭琴ね。てっぺんに馬の頭の飾りがついてるのよね』
なんて言うじゃありませんか。
ウチの奥さんはなんと馬頭琴を知っていた。
「“スーホの白い馬”っていうお話に出てくるのよね」
なんて追い打ちまでかけてくる。
さて。
ここで馬頭琴のファ:ン並びに奏者の方々に残念なお知らせがあります。我が家の基準によると、馬頭琴はどうでもいい楽器である。という結論に至らざるをえない。どうしてもそうなります。
ワーグナーは微細なものの巨匠だそうですが、ウチの奥さんは“どうでもいいこと”の巨匠です。
たとえばテレビで旅番組を見ている。どっかの温泉が出てくる。。
「あっ。この温泉の女将は太鼓を叩くのが上手いのよね。餅搗きもやるのよ」
とか、
「あっ。この島はお金ばかりかけてあんまり役に立ってない橋があるのよね」
とか。あまり役にたたないことばかり覚えている。問題の橋や国土交通省を非難できるタチバでない。
どうでもいいことだとスイスイ頭に入ってくるのよねぇ。どうしてか。
ご本人は至って屈託がない。自覚していらっしゃる。
そういうワケなので、ウチの奥さんが知っていた馬頭琴なるものは
どうでもいい楽器であると断定せざるをえない。
ああ・・・・・
あんなにデモナイ君がガンバッテるのに・・・・
馬頭琴はどうでもいい楽器なんだ。
デモナイ君はそのことを知ってか知らずか・・・・
秋の夜長。手に握りしめる温かいとっくり。
炒って塩胡椒した瑠璃色の銀杏を口に放り込みながら、私は一方的な感慨にひたりつつ人生の儚さに思いを馳せるのであった。(完)
馬頭琴。