本シリーズの1~3はのちほどアップします。


(4)

ステレオなんか見だごどねぇ、ってのはホントですよ。当時の皆が持っていたのはほとんどがモノラルの蓄音機だった。



ドーナツ盤と蓄音機

当時の蓄音機はもっと安っぽかった。



ステレオ録音が始まったのは1962年。ジャズ界の大物サッチモやクラシックのレコードが最初だったらしい。僕らが青春前期に聞いたレコードの大半はモノラルだ。僕は左の耳があまり聞こえないから今でもモノラルです。青春前期だ。おかげで若い、のかな?

当時のレコードにはドーナツ盤という美味そうな名前がついていた。このドーナツを蓄音機のお皿に載せ、コーヒーか紅茶で食べる。というのはもちろん冗談。

蓄音機のボリュームをギュッと絞る。そして寝っころがってモノラルのスピーカーに右か左の耳を寄せる。

これが当時の受験生の夜の正式な聞き方だった。もちろん親に勉強していると思ってもらうため、親孝行のためです。

このモノラルの蓄音機。吹けば飛ぶようなチャチなプラスチックの道具で、近くであんまり激しく踊ると針が飛んでしまう。上ブタと本体なんかすぐ離婚です、いや家庭内別居です。

この別居には誰が考えても当然の理由があった。[続く]


(5)


プラスチック製のモノラルの蓄音機のフタと本体が家庭内別居にふみきる。そうせざるを得なくした犯人はビーチボーイズです。



サーフィンUSAだ。この曲はまたツイストを踊るのにピッタリだった。

『レッツ・ツイスト・アゲイン』や『ペパーミント・ツイスト』。それに『サンライト・ツイスト』。映画「太陽の下の18才」でカトリーヌ・スパークが水着でかわいく踊るツイスト。まぶしい肢体が今も目に浮かんでくる曲だ。



カトリーヌ・スパークが水着でツイストを踊る動画が見つからないので、以下の動画は次善の策です。

サーフィンUSAでは芸がありませんからね。


Joey Dee & The Starliters - Peppermint Twist.

ツイストの嵐に耐えた高品質のメード・イン・ジャパンも、ビーチボーイズのサーフィンUSAにあってついに力つきる。上ブタと本体が別居に踏み切る。今も昔もアメリカからの外圧には弱かった。[続く]


(6)

LPに革命をもたらした記念碑的1作



高校生活のハイライト。修学旅行の時だった。泊まった旅館の風呂場にジュークボックスが置いてあった。<風呂場は密閉性もそこそこあるし、外からは見えないし、先生もこない。

カユイところに手が届く、この上ないサービスだった。この旅館に今ならレーティングはトリプルAをあげたい。僕らは裸の腰にタオルを巻いて心ゆくまでツイストを踊りまくったものだ。

なんと言ってもサーフィンUSA 。10円玉が次々とジュークボックスの穴に吸い込まれていったっけなぁ。けだるく官能的だったサンライト・ツイストも心底なつかしい。あの時代よ。帰れ、わが胸に!!

というわけで、あの時代。高校生が持っていた蓄音機のアームは家庭内暴力ダンスのせいで大抵が骨折。いや脱臼の経験ぐらいは持っていた。

治療? セロテープです。ガムテープなんて存在しなかった。ティッシュも同じ。セロテープが現われたのはほとんどプレスリーと同時です。

ちゃちな蓄音機にLPは似合わない。重たいLPなんて買って持ってるのは文化的マイノリティだった。少数派です。LPを載せると蓄音機が沈む。そんな感じだった。

みんながLP を買いだすのはビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』から。ざっくり言うと1967~8年頃から。

いわゆるトータル・アルバムの時代が始まり、オーディエンスもそれを受け入れた。高度成長が続いてみんなの懐が豊かになってきたのも一因だ。

若い人によく聞かれる。「ストーンズの初期のアルバムなんか出たときはよく聞いたんですか? あの黒っぽいジャケットのカッケエやつなんか」なんて。

もうリンダ困っちゃうだ。今の若い方たちにはワカランでしょうね。僕が高校生の頃は1 枚のSPでもお小遣いがだいぶ吹っ飛ぶ。LPなんて見るだけです。花電車だった。[続く]