エリック・バードン


ジョン「63年の終わり頃マイクはロンドンへ行き、ヤードバーズのマネージャーと一種の交換出演の契約を交わした。さようならニューキャッスル。こんにちわロンドンだった。そしてとうとう帰ることはなかった。

初めてのツアーでチャック・ベリーとの共演が決まった。僕等にとっては凄い事だった。チャック・ベリーは僕等のヒーローだった。彼を連れてくるためなら何にだってサインしただろう。ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンス、トミー・トガ。ナッシュビル・ティーンズ。キングサイズ・テーラー& ドミノス。僕等にとっては圧倒されるような面々だった」

バードン「チャック・ベリーとルイスが一緒のバスに乗って、イギリスの町から町へ移動するなんて考えられるか?1 台のツアー・バスにアメリカの問題が凝縮されているようなもんだ。血の気の多いKKK 団みたいなルイスと狂った世界で生き延びようとするチャック。2 人はひっきりなしに揉めていた。

昔のツアー・バスの座席は全部一人掛けで寝ころべるような横長の席は一番後ろしか無かった。ロード・マネージャーのピーター・グラントは、さあ2 人ともフェアに行こうじゃないか。ルイス、昨日の夜は君が使ったから今夜はチャックの番だ。それにチャックはチャート43位で君より上なんだ、とか言う。ルイスは怒ってコルト45に手を伸ばす。本当に狂ってた。チャックがギター片手に威厳をもって後ろへ行こうとするとルイスがニガーは後ろがお似合いだぜと言い、一人が飛び掛かるとしまいにはバス中がケンカだ。ひどい。まだアメリカにも着いてないのに」


バードン「チャックよりロックしようなんて無理さ。ジョニーB グッドをやって彼に勝てるなんて有り得ない。朝日のあたる家は演奏しなれた曲だった」

チャス・チャンドラー「あの曲をレコーディングするのにマネージャーやミッキー・モストを説得するのは大変だった。金を出すのも勿体ないという態度で、どうしてもと言うなら土曜の朝の8 時にスタジオに来いと言われた。ほとんどライブのようなものだった。曲の前半だけチェックのために流してワン・テイクでおしまいだった。

一人のクレジットになるとしたら寧ろヒルトンを挙げるべきだ。でも今更遅い。アランは自分がアレンジしたと思いこんでる。本当は違うのに。

ミッキー・モストはアメリカへ行って色々掻き集めては帰ってきた。彼は素材を選ぶ耳は持っていた。売れる音を聞き分ける耳を持っていた」

バードン「彼は朝日のない町で僕等を発掘した。イッツ・マイ・ライフも彼が見つけた。だが僕等をビートルズみたいに骨抜きにして人形にしようとした。アメリカへ行ったら行儀よくしろとか、振り付け師まで付けて最悪だった」

サミー・ヘイガー「二枚目じゃないのが良かったね。何時だって汚い恰好してた。お洒落なストーンズなんかに比べてとても素朴に見えた。外見には構わず、彼はただ歌いたいだけだった」