古い思い出と曲に新しい皮の袋を(サンバーン訳)
23/05/1981-Melody Maker


ニュー・オーダーはジョイ・ディビジョンの残り物なんかじゃない。

彼らはまったく新しいバンドなのだ。彼らは思春期のころに自分たちに無理やり押しつけられた伝説と闘ってきた。この闘いはかつて、イアン・カーティスの究極の犠牲/敗北/ファンタジーによって爆発点に達した。その伝説にどんな言葉を与えようと、これがミステリーから成り立っていることには変わりはない。

まるで坑道を支える木材のように、この伝説を支えてきたもの。それは彼らのバンド名が暗示するファシズムに対する非難だった。いわゆる“欧州ファシズムの新秩序(ニュー・オーダー)”という言葉と彼らのバンド名との暗黙の関係に基づく非難だ。

この言葉は緩いながらも、極右団体がユダヤ人やその他の少数民族に対して行ってきた悪行の数々と結び付いている。100人以上の人々を殺したマドリッド中央駅の爆弾事件、フランスでよく起こる暴力沙汰、ユダヤ人の墓前に豚の頭を置く儀式などもそのひとつだ。

以前のジョイ・ディヴィジョンというバンド名は、もともとはユダヤ人の強制収容所の中に作られたナチ高官のための売春宿から取られた。被抑圧者を象徴する言葉だ。だがニュー・オーダーという言葉が意味するもの。それは抑圧者そのものなのだ。

メディアはこの種の非難を追い求めるあまり、彼らが持つそれ以外の魅力、スパイスの効いた魅力に言及することはほとんどなかった。本当ならニュー・オーダーを単なるファッションを超えた存在にしてくれたはずの魅力。それは、彼らは音楽業界のメカニズムを超越しているということ。まるで雲の上からのように音楽業界を見下ろしているということだった。

例の伝説は危険や破壊を誘うロックの教えに適うようにみえる。ニュー・オーダーのギグはある種の電気を帯びている。そう、 ラウンドハウス時代のピンク・フロイドのように。

彼らの最初のシングル「Ceremony」はファン40に39位で登場すると、そのあたりを行ったり来たりしたあと、再びチャートを滑り落ちていった。ラジオ・ワンの神経の末端にはあまりにヒリヒリしすぎる刺激だったのだろう。これは今ではまるで玉座の上にいるかのように、ゴシック調の金色のジャケットの中におさまり、王冠のような異教風の封印をつけている。

「Ceremony」には物思いに沈んだような透明性、脆さがある。それは最後になっても消えず、むしろ粉々に砕け散って、ついには火花を発する粉のような何かへと変わるのだ。

バーナード・アルブレヒトのボーカルは何も隠さない。彼の声の脆さと弱さは感情が裸にされるところまで行ってしまう。「New Dawn Fades」の頃にイアン・カーティスが注ぎこんだ深い悲しみ、挑戦、絶望ほどではない。だが、その表面の生地がいったん剥き出しにされるや、バーナード・アルブレヒトのパフォーマンスには孤児のような孤独感、迷子にされた子供の怒りのようなものが漂うのだ。

しかしレコードをひっくり返し、静かで雰囲気のあるオープニングを通りすぎると、「In A Lonely Place」は一転して壮大で恐ろしい叙事詩を奏で始める。

バーナードの無情な声は、非人間的で完全に恐れを知らないところまで行ってしまう。このトラックにはありきたりの感情はまったくない。「In A Lonely Place」は僕が今まで聞いた中でも最も邪悪なレコード、残酷なレコードだ。

その邪悪さは誘惑的で、その力は人を痺れさせる。それは人を屈伏させ、儀式で捧げられる犠牲になったかのような恐怖を聞く人の心に注ぎこんでくる。シングルの両面にこれほど両極端な2曲の歌が収められたことはこれまで無かった・・