今朝の「コラム・インテリジェンス」コスモポリテス15https://ameblo.jp/column-antithesis/

「いまに見ておれ、「上」が「下」になり、「下」が「上」になる社会が蔓延るようになるのだ。」

(「世界市民の現像」ディオゲネス)

という記載があり、小生が若き日に業界の大先輩から言われた言葉を思い出した。

今ではヘイトスピーチにあたるかもしれないが書いておく。

「馬鹿は一生治らないからバカにしてもいい。だが、貧乏人は絶対バカにしてはいけない。

一夜にして大金持ちになることがあるからだ。」

 

上記ディオゲネス引用の前に、ブロガーのアリストス氏はこう綴っている。

頭脳・知恵の低下した人々の社会では、貨幣価値が上昇し、

頭脳・知恵の発達した人々の社会では、貨幣価値は低下する

これもまた真である。

 

アリストス氏はさらに、

以前は、「人の優しさが身に染みる」という言葉が使われた。

が、現代では、「人のアタリマエが優しさに感じる」

となってしまっているようです。

 

これも「上」と「下」の逆転に関係しているのかも知れません。

と続け、

以前は挨拶・礼儀・返礼の出来ぬ者は張り倒されて、

社会としてのマナー・エチケットが順守されていた。

 

が、現代では、マナー・エチケットを弁(わきま)えぬ人々が、

大手を振って生活している。

 

これも「上」と「下」が逆転してしまう状況の一環としての

表象であるようにも思われなくもないのです。

と締めている。

 

今は男同士の暴力ばかり取り上げられ、それ以前に人間として最も大切な当たり前の事柄が

軽視されているように小生も思う次第だ。

 

小生が40代の頃、ニューヨークに2ヶ月ほど出張したことがある。

その時、ニューヨークの街の交差点や歩道に毛布やらタオルが山積みになっているの数回見かけた。

不思議に思い、NY在住の友人に理由を尋ねると、事故があったのだろうと当たり前のように答えた。

NYのアパートはほとんどが高層であるから、事故がおきると近在の人々が被害者のために、

アパートの窓から毛布やタオルを投げ落とすのだそうだ。

友人はごく当たり前のことだというように「僕もやってるよ」と。

小生はアメリカ人、いやニューヨーカーのホスピタリティに脱帽した。

 

昔は日本でも長屋住人のコメの貸し借りのように、無言のホスピタリティが当たり前であった。

それが、アリストス氏が指摘されるように、いつのまにか当たり前が当たり前でない社会になっている。

「お・も・て・な・し」・・・などと言っている場合ではないように思うが・・・。