福田ペーロンの由来
永禄5年(1562)明船(中国)が福田浦田吾島沖(現福田小学校前)に停泊し大村候に交易を願い、許可が出るのを待つ間、乗組員たちはその間の退屈を慰める為小船を下ろし鳴り物をたたいて競い興じた。

これを地元福田浦の住民がまねたのが当地ペーロンの初めであると伝えてある。

ペーロンはピャーロン、キャーロン、チャーロンなどと呼ばれ、飛竜、爬竜の字が当てられているが、中国南部、揚子江沿岸などの習俗が台湾、琉球などを経て九州各地に伝えられたと云う。

福田地区では、永禄の昔から三ケ浦七部落の年中行事となり、「川祭り」と呼び水神を飾って海上の平穏無事と大漁を祈願し、遠くは伊王島より海上三里を競漕した。

時移り、終戦前後の社会情勢からペーロンの得失が問われて凋落の一時節もあったが、「ドラの音を聞けば病気が吹き飛ぶ」とか「飯より好いとる」といった同好の志達の熱意に支えられ青年団によって再び昔日の盛況を取り戻すに至った。

今年も6月17日の9時よりペーロン大会が催され福田地区の一大イベントになっている。

長崎市内の港町では、いたるところでペーロン大会が開催され、ここ福田地区では、大浜チーム・小浦チーム・本町チーム・小江チーム・柿泊チーム・手熊チームの6船で競漕が行われる。

各チーム4月頃から青年団選抜の選手がロードワークを積み本番に向けて練習を行うのである。


まずは大浜チームです。

今日は人数が揃わず半分位のこぎ手だそうです。

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続いて、小浦チームが元気に練習をはじめました。

気合が入ってますね~

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最後に本町チームが来ました。

昨年は優勝をのがしたので、今年はリベンジに燃えてます。


監督の厳しい激が飛んでます。

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全長1500メートルのコースを全力疾走した後は、ほとんど放心状態である。


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本番まで、もう少し! ガンバレ!
○○ちゃん、 かわいかったよね!

あこがれる~

二次会どうする?

○○くんのお友達って、なんか感じ良い人多いよね!

え~ 次は○○ちゃんの番じゃないの~

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(楽しいおしゃべりは永遠につづくのでありました)


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今日は、先日通販で買った1畳のウッドデッキを設置しました。

ここが設置場所です。
西向きですので、午後からは日当た良好です。
雑草がかなりはえて手入れはしてない様に見えますが、その通りです!
今年はあえて綺麗にはいたしません!
雑草にも、タンポポ・ツユクサ・かたばみ・カラスノエンドウ等、小さくてかわいい花がいろとりどり咲き、私を撮ってと言ってるんです、と妻に言い訳しておる次第です。

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朝7:00 みんなが起き出す頃、ごそごそとパーツを組み立て開始!




娘も手伝い、だいぶ出来上がってきてます。


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これは、床になるパーツね!


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11:00 ほぼ完成したので、娘と一緒に設置場所に移動!

よいしょ!よいしょ!

だいたいこんな感じですねぇ!




さあ、これからが重労働、基礎石を買ってきて設置しないとデッキの柱が腐れちゃう!



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基礎石を買いにOKホームセンターにGO!「あっ、車ちょっと止めていい」「なに」「雲が!」「夏の雲が出てる」












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もう昼になっちゃいました。
ホームセンターの帰りにオロンパンを買いました。










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あっと言う間にたいらげました。
おそるべし小学5年生女子食欲!



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午後からは日当たり良好で疲れます、ペースが落ちます!
途中は撮影する気力がない!
 \(◎o◎)/!









草を取り除き、地面をならし、雑草がはえない様に砂利を敷き、高さ・傾斜を調整し基礎石を並べて、ウッドデッキを設置して、完成で~す!




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狭い庭がさらに細くなりましたが良しとするか。

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六月に入り紫陽花の季節がやってきた。

中島川沿いの公園には、色とりどりの紫陽花が咲き誇っている。

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遊歩道の両脇に鉢植えの紫陽花がならべてあります。

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紫陽花は酸性の土壌では青色に、アルカリ性では、赤色になるそうです。


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本来、日本では酸性の土壌ですので青色の紫陽花のみだったそうです。


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今日はやっぱり雨になりました。


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色が変わったら又、撮ってくるねぇ~  ばいばい(^^♪

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(自宅2階から撮影)



5月31日(木)「今日の独り言」(方言で失礼)

あ~ 今月も終わったかぁ。

ブログも3ヶ月目にはいるなぁ~
長かったなぁ~

来月は梅雨に入ったら紫陽花を撮りにいこうかなぁ。
オランダ坂とか石橋もよかねぇ。

その前に娘の運動会があるなぁ。
運動会は苦手やなぁ… みんな動くもんなぁ… あたり前ばってん…

あっ、そうやった! 今日、夕方にウッドデッキの着いたとやった!
いつ組み立てればよかかなぁ?
こまかばってん一日で、できるやろかぁ?

来月もいそがしかばい! はようねらんば! ばいばい!
5月25日(金)

朝から降ってた雨が夕方ようやく上がりました。

花壇の草むしりをしました。

たっぷり水分を含んだ土は、雑草の根まで、気持ち良く抜けました。

綺麗になったけど、明日になれば、近所の猫ちゃんが、気持ち良く、うんこするんだろうな~。

ふかふかの土は猫ちゃんも気持ちいいんだろうなぁ…

土のにおいって、何となくうんこしたくなるもんなぁ…

本屋さんで、うんこしたくなるのと同じかなぁ…

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この洋館は、占勝閣と言って、三菱重工長崎造船所の迎賓館として使用されていて、設計者は曾禰達蔵、明治37年(1904年)落成。総建坪は約123坪です。
 ‥もう、何も言うことはありません。でるのはため息ばかり。美しい‥

一般には公開されて無いので、見学する事が出来ないが、亡くなった父が三菱重工を定年する時、一度ここで食事をしたと言って自慢していたのを思い出す。
その調度品や内装のすばらしさと、目を見張る絵画のコレクションは他では見れないと言ってました。


占勝閣は三菱長崎造船所第3船渠の北方、身投岬の丘上に位置し、元郷社、八幡神社境内の老松古木を庭園に取りいれ、明治36年7月起工、翌37年7月落成した。

本館は洋風木造2階建で、階上に寝室、ホ-ル、小室を設け、階下を食堂、応接室、書斎等、に区分し、また庖厨を備える地下室がある。

調度類は当時としては最高のイギリス製品を輸入したものである。

明治38年1月、軍艦千代田入渠の節、同艦長東伏見宮仁親王殿下は本館に上泊せられたが、御帰京後、当閣が風光景勝を占めるとの意から、とくに占勝の2字を選び、「占勝閣」と命名された。

その後、多数の皇族が上泊されているが、特に大正9年4月、東宮裕仁親王殿下には、当所にて建造の戦艦土佐の竜骨第1鋲を親しくお打ちになり、御休憩の上九州御巡幸の旅をつづけられている。

また昭和24年5月、ようやく国情恢復の緒につくとき、昭和天皇九州御巡幸のことあり、その途次当所施設など叡覧、占勝閣に御宿泊されている。

所在地:長崎県長崎市飽の浦町(一般には非公開)

中に入ってみたい~
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ど真ん中に写ってるのが占勝閣です。
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5月8日、古代船ホクレア号が長崎にやってきた。園児のかわいい歓迎レセプションがあり、クルーも喜んでくれてる様でした。話を伺うと日本まで来るのは大変だったけど、着いたら連日寄港先での歓迎会の連続でこれまた大変だそうです。ハワイまで無事に帰れるか体力が心配で聞いてみたら、帰りは船は分解して運ぶそうです。それなら安心ね!