入院直前の先月中旬、ネットで“殿下の命日が・・”という記事が目にとまり「え!?何?」と思ったら、ランチパーティーがあり「太陽にほえろ!」に縁のある人達が顔を揃えた日が偶然“殿下・島公之”の命日の7月11日だったという記事を、小野寺昭さんがSNSにアップしたというような内容でした。

“殿下・小野寺昭さん”は私が中・高校生の頃、大好きで夢中になっていた人です。

高校生の時、夏休み中に県内のショッピングセンターで「太陽にほえろ!」の写真展があったのですが、あいにくその日は課外授業がある日でした。ただ、授業がグループで課題を調べて後日発表するという内容だったため仲のよかったA子とB美が協力してくれて、調べは引き受けてくれて発表は私がするということで課外授業を抜け出して列車に乗って見に行ったこともありました。

私は自宅から通える大学に進学したのですが、大学の入学式の時に着たスーツは、当時“殿下”が着ていたスーツの色合いをそのままイメージした白の上下に深いブルーのブラウスでした。

その頃小野寺昭さんは石川さゆりさんと一緒にラジオ番組をやっていて、私の地元では電波が入りにくい放送局だったので知らなかったのですが、京都の大学に進学していたA子がカセットテープに録音して送ってくれて、それ以降は悪い電波状況でも頑張って聞いて、せっせとハガキも書いて、一度だけですが石川さゆりさんが名前を呼んでくれたことがありました。

「太陽にほえろ!」で“殿下”が亡くなった時には、私の青春も終わってしまったような、そんな感じがして泣いたものでした。

20代後半にさしかかった時、県内の宝石屋さんの一日店長として小野寺昭さんが来県されました。初めて実際に小野寺昭さんにあえる!!と、もちろん私は行く気満々だったのですが、私とは好みが違っていて野口五郎さんや、QUEENのブライアン・メイのファンだったB美も一緒に行きたい、と2人で行くことになりました。
そのお店ではサービスで記念にポラロイドカメラでツーショット撮影をしていただけたのですが、撮影が終わり“ありがとうございました”
と離れようとしたら、小野寺さんがカメラマンに「もう一枚」。カメラマンも私達も“???”だったのですが、「二人だから二枚要るでしょう。もう一枚撮って」と言ってくださって、私は“なんて思いやりのある心配りをなさる方だろう”と感激以上に驚いたものでした。B美もその優しさにびっくりしていて、写真も要らないと言うかなと思ったのに“要る!!”と持って帰りました。
その時の写真は私の自慢の宝物なのですが、当時勤めていた会社に出入りしていた写真屋さんにポラロイドは年数がたつと色が飛んでしまうと教えていただき、ポラロイド写真からポジをおこしてもらって、引き伸ばしてパネルにもしてあります。

小野寺昭さんの出したレコードはシングルもLPももちろん持っているし、当時のコロムビアレコードのカレンダーや「太陽にほえろ!」の写真集、愛車117クーペと一緒に写っているインタビュー記事の載った本も、まだ持っています。

数年前、小野寺昭さんが、軽かったけれど病気になったという記事を見て心配していたのですが、お元気そうな姿を見ることができて嬉しかったです。