こんばんはご無沙汰しております和心ことヤマモッサン、かずやん、和弥です。
この数日は本当にいろんなことがありました。今回のことはブログなどに書くことではないと思います。ですが本当にだれも1人さみしくあの世に旅立った友、心友の最後を知らないのはシュウちゃんの本意ではない と思い、1人でも多くの人の気持ちのわかる方に知ってもらいたく、書くことにしました。葬儀も家族だけの密葬でした。本当に悔しくてせつなくてさみしいです泣泣泣泣泣(T ^ T)涙涙涙涙涙(;_;)
でも今回は本当に人の優しさあたたかさ、気遣い心遣いのお陰で本当に本当に助けられました。
毎日何度も何度も鳴っていた電話が10月29日を境に全く鳴らなくなりました。
家族以上の友、心友が急遽この世から他界したからでした。
あまりのショックに家に行けずに一度は大阪からトンボ帰りをしてしまいましたが、もう1人の大阪の友の説得のお陰で涙ながらに家に行く決心ができました。
すぐにお母さんに電話すると、山本くん1日も早くシュウジに会いに来てくれる、と泣きながら言われました。シュウちゃんが偶然だったのか、自分の死を悟ってたのかさだかではありませんが、電話で何気なく最後に、和弥俺にはおまえしかおらんのんや、家族もだれもわかってくれへんし、となぜかさみしそうに言われたことを思い出しました。
まさかその直後に亡くなるなんて……………。
金曜日の朝大阪へ向け家を後にしました。電車の中で何度も何度も涙が出てはふき、まわりからジロジロみられましたが、全然きにもなりませんでした。
大阪の高槻市内の駅に着くとお母さんがわざわざ迎えに来てくれタクシーで近くの家まで向かいました。お母さんからいつもシュウジから山本くんはええやつやと口癖のように言っていたと聞かされ涙がとまりませんでした。
なぜなら僕はいいやつどころかいつもシュウちゃんと子供みたいなケンカをしてはいつもあやまっては許してくれるシュウちゃんに甘えてばかりでした。電話も本当に一日中鳴りやまないときは、病気とたたかってるから何も言えず、着信拒否しかできないくらいでした。そんな中事件はおこり、後日つうじない電話に違和感を覚え、自宅に電話すると、お母さんから、山本くんね、シュウジ10月29日の夜断酒会に行く途中に亡くなったんです、と言われ電話ごしに泣き崩れ当分の間なんのことかもわかりませんでした。ただただ自分をせめてしまいました。
話がそれましたが家に着くとお母さんが半身不随のお父さんを部屋から呼んでくれ挨拶をしました。
シュウちゃんのお父さんのいつもの口癖は、ウチの極道をよろしくたのんます、でした。
台所でお母さんにシュウちゃんの最後を聞かされました。僕はてっきりなんといっていいか、非合法のいろんな薬物の後遺症でアル中、不眠症、鬱になっていたシュウちゃんが、僕も電話に出ないからさみしさのあまり眠剤を大量にのみ、自転車で転倒して頭をうって死んだのかと勝手に思ってましたが、お母さんは薬、つまり眠剤の飲みすぎで呼吸困難になり心肺停止で発見され、病院にかけつけたときはもう亡くなっ
ていたそうでした。シュウちゃんの最後をきき涙が止まらず悪い癖で自分をせめてしまいましたが、すぐに反省しお母さんからは、山本くんは絶対に薬は非合法のものも普通のお薬もなんでもとにかく飲んだらあかんよ、と言われました。その後シュウジのぶんまで山本くんいきてくださいよ、とお母さんに言われ三階のシュウちゃんの部屋と二階の仏間に案内してもらいました。
シュウちゃんの部屋は泊まりに来た時とあまりかわっておらず、いつもシュウちゃんが電話ごしによく聞かせてくれてた2人の思い出の曲が頭をよぎり、お母さんにシュウちゃんの聴いてたCDが欲しいと伝えると、山本くんごめんなさいね、悲しすぎて全部すててしもうたんです、と言われま
した。そうなんだあとまた悔しくなり会いたいと思っていると、お母さんが仏間に案内してくれ、遺影をみせてくれました。本当にこれはシュウちゃんが僕だけに申し訳なさそうに、言いづらそうにはなしてくれたのですが、別件の窃盗や傷害事件でつかまり、なんとか出所して真面目にその道から足を洗い、働くために面接用に撮った写真だとシュウちゃんもいってたし、お母さんにも言われました。
確かにヤンチャなシュウちゃんではなく、真面目に頑張ろうとしてスーツでネクタイをしめたシュウちゃんの写真でした。それでもまだ現実が受け入れなくて、泣きながら遺影に手をあわせていると、お母さんが遺影の小さい写真があるといい見せてくれ
ました。僕はあつかましくもこれってもらえますかときくと、山本くんにもらって欲しいとお母さんにいわれ、他にもシュウちゃんの残った遺品のダウンジャケットとリュックを頂きました
その後はお父さんとお母さんと一緒に、お母さんの手料理のお昼ご飯をたべさせてもらいました。荷物があまりに多くなり、近くの郵便局で荷物をまとめて送ることにしました。そしてその後お父さんとお母さんにお金を渡そうとしていたら逆に交通費だとお金を頂いてしまい、申し訳なくなりました。
その後はお父さんとお母さんと一緒に、お母さんの手料理のお昼ご飯をたべさせてもらいました。荷物があまりに多くなり、近くの郵便局で荷物をまとめて送ることにしました。そしてその後お父さんとお母さんにお金を渡そうとしていたら逆に交通費だとお金を頂いてしまい、申し訳なくなりました。
帰るときにはまたタクシーをよんでくれ、最後は気丈にふるまうお母さんに励まされ、大阪の両親だと思って遠慮なくまた家に来て欲しいといわれました。最後は涙も枯れ逆に頑張ろうとお母さんをみてておもいました。
そうして大阪をあとにし、鎌倉へのお礼のためと、東京、横浜へ向かいそこで本当に本当に大大大親友達とそのお仲間さんやファミリーに助けられ、お陰で心がとてもげんきになり、今にいたってます。
でも題名どおり遺影や遺品を見ると、とても複雑なきもちになります。でもシュウちゃんはもうどうあがいても、もういないのでシュウちゃんのぶんまで頑張ります。シュウちゃんは僕の心の中に生きていると思え、頑張ろうとおもいます。ありがとうございますシュウちゃん、ご家族の皆様m(_ _)m
ひとときの別れなのでサヨナラは言いません。いずれ自分もいつかはシュウちゃんの元へ行くのですから、それまでは人を愛し、好きになり、人を責めずに許すことのできる、優しい心を大切にできる人間を目指して日々を大切に生きていきたいとおもいます。天国でゆっくりと休んでくださいねシュウちゃん。
山本和弥。
追伸、鎌倉の神様の心の大先生のところへも自分を信じ一緒に行ってくれ、普通の事も奇跡的なことも神様の大先生のお陰やでといつも謙虚にと励ましてくれありがとうシュウちゃん。しんじない人達は、あっ、そうぐらいの気持ちでほっとけとも言われました。
これからはいつも一緒ですシュウちゃん。
いざ鎌倉





