自分の中にもう一人の自分が住んでいたとして。


その人をないがしろにして生きてきたなあ
と思うわけです。


快速電車に乗っているような気分で、
毎日がスムーズにいくことを最優先にして。


一瞬よぎる
「ん?」という違和感も
「ぎゅっ」となる苦しさも
華麗に通過。


この駅で降りてみたいなあという芽生えも

「そんな無駄な時間あるわけないでしょ」

と乱暴に通過。



なにしろ快速電車に乗ってるわけで。

目に入る駅にぜんぶ止まっている暇はなし。


いつも一定のスピードで走らなきゃ

って頑張って走る。



違うか。

自分で走ってなかったよな。

ナニモノかに運ばれてたかんじ。



社会の流れ、とか
スケジュール、とか
世間の中のいい年の取り方、とかね。
 


そういう流れに置いていかれないように、
快速電車に乗って。



自分の人生なのに
「お客さん」として乗っていて。



いつも周りの人の顔ばっかり見てたなあ。




手にも肩にもたくさん荷物を抱えて。


身動きとれない。

 
どこか不自由さをもちながらも
毎日はトップスピードで過ぎていく。


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通過する小さな駅のホームに女の子が立っているときがある。



一瞬見える女の子はどこか寂しそうで、

風圧でスカートがガバーーーッってなる。

その子がずっと心に残ってて。



その子は自分だったんだなあ
って今ならわかる。



寂しそうな顔は、彼女の寂しさじゃなくてね、
あれは私の姿を悲しんでいたんだろうね。



あなたの中にもいるのにって。



たくさん感じる自分がいるのにって。



広がりたい自分がいるのにって。




速いことがいいことですか?
正しさは心地よいですか?
まっすぐ進むことが楽しいですか?
何を生き急いでいるんですか?
って。



その快速電車はどこに向かっていますか。
みんなとおなじで安心ですか。
って。




行き先も定かじゃないまま
駆り立てられるかのように
飛び乗っていた快速。



自分のエネルギーじゃなくて、
ナ二カに運んでもらって
うまく生きているつもりだったなぁ。



だから、重要なことはいかにイイ電車に乗るかなわけで。


外ばかり見て、
この電車かなあ、
これかなあ、
こっちの方が間違いないかなあって。



イイ子の電車。
イイ社会人の電車。
イイママの電車。
イイ妻の電車。
 


その電車を見分けるのが割とうまかったわたし。



周りとうまくやれていた。



幸せだった。



うん。十分過ぎなくらい幸せだった。



なのに、だ。



たまーにぱっと思い出すホームの女の子。

そんなとき、何かの小さなきっかけで

無性に悲しくなったり、イライラしたり。

得体の知れない空虚感に襲われる。




こんなに幸せなはずなのに。

なんて贅沢なんだ、自分は。

欲張りだ。

十分幸せじゃないかよ。

自分でつっこむ。


それは時間にしたらほんの一瞬のことで。



何しろ快速電車に乗ってるから。


浸っている時間もなく、
日常のルーティーンの中に戻っていくわけです。



小さな違和感なんてあっさり通過。



いっときの闇も過ぎてしまえば、
また快速なりの楽しさや喜びを味わえる日常が流れ始めるから。




これが私にとっての、快速電車の罠でした。



そう「十分幸せ」っていう罠。


流れる毎日にも、
カンドウとかヤリガイとかトキメキとか
彩り豊かなのもがちゃんとある。


友情も信頼も愛もちゃんとある。




ちゃんとあるけど、違った。

出どころが違った。



外からもらっているモノなのか、
内から湧いてきているモノなのか、
これが決定的に違った。




与えているフリをして奪っていた。


周りの人に寄生していたんだね。



自分の行いを
「周りの反応」を解答にして決めていたんだよ。




「周りがうまく行くようにこう振る舞おう。」

「こうしたら自分の居場所は安全だ。」



これが得意で自然とできていたんだと思う。

無意識に。

 


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そんな私が快速電車を降りる日がやってくるなんてなあ。




今は蒸気機関車に乗りかえて。



自分の中のもう一人の自分と二人三脚しながら、
せっせと石炭をくべて、
自分とつながるエネルギーで進んでる。



スピードは、相当遅くなったけど、
身体をがんじがらめにしていた荷物を降ろしたから。



軽い。




一日が目まぐるしいスピードで過ぎて行くのに、なぜか身体は重くて仕方なかった快速電車。

一歩一歩味わいながらノロマなのに、
なぜか身体は軽やかな機関車。




汽車から眺める日常には、
今までとは次元の違う幸せ感がある。



どこに行きたいかも自分で決めて、
いつ止まるかも自分で決める。



それはそれは驚くほど怖くて不確かだけども、
生きてる実感しかないよね。



人から認められる高揚感と引き換えに、
自分で生きてる手応えがやってきた。



自分から逃げながら
誰かのせいにしていたエネルギーを
この身の中へ取り戻すことができた。




外の世界に合わせて生きてきた自分に
「お疲れ様」と「さようなら」。





乗り換えの案内をくれた数々のチャンス。





チャンスは毎日やってくる。



私たちはチャンスに囲まれている。


どんな生き方かは自分で決められる。




どれを選んでもいいんだ大丈夫。



自分が気持ちのいい方へ。

自分が軽やかな方へ。

自分が好きになる方へ。


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