小林麻央さんが亡くなって思う。
それは、長さではないと。
「何言ってんだ。あんなに小さな子ども達がいるんだ。親は長生きした方がいいに決まってるだろ。」
重々わかる。
私にも幼い子が2人。
親なら誰しもそう思うだろう。
でも、麻央さんの生き様は、私に新たな感覚をプレゼントしてくれた。
それは、
“一日一日を自分で創造する”
という生き方。
『消費する一日』『こなす一日』
ではなく
『創造する一日』『生み出す一日』
(麻央さんの治療法については、いろんな考えがあるだろう。西洋医学・東洋医学・代替療法・心のこと・食事などアプローチも様々で、いろんな選択肢があったと思う。
今は、それらのどれがよかったか、という話ではなく、本人が選んだ道をどう歩むかについて見つめたい。)
今、40歳の私。
かつては、つい命は無限だと言わんばかりに、一日を粗雑に扱うことも多かった。
カウントダウンで早く終われと削っていく一日か。
一秒一秒、命いっぱいに生み出していく一日か。
白いキャンパスに
新しい一日を描く。
創造の一日。
きっと麻央さんの一日一日は、
できうる限りの可能性へのトライと、
取り巻く人々と愛を感じ合う宝物のような時間で埋め尽くされていただろう。
お子さん2人は
ママが一日一日を自らの手で創造していた生き様を肌で感じていただろう。
いなくなった悲しみが、どうしようもなく押し寄せることもあるに違いない。
でも、
そこからの舵取りは、きっと創造の人生へと向かうと思う。
命をかけて
麻央さんは、子ども達に
生きる喜び
をプレゼントしたのだと思う。
そして、彼女自身もまた子ども達や周りの人から
生きる喜び
をプレゼントされていたのだと思う。
悲しみ
喜び
怒り
楽しさ
あらゆる感情は、生きているからこそ味わえる。
私は今、生きている。
「削る一日」ではなく「生み出す一日」を重ねたい。