由香ちゃんの「螺旋の軸と彼の存在」の投稿
を読んで湧き起こった感覚の広がりを聞いて~!
時空旅行ができたから。
今日もありがとう。
自分への信頼が生まれると愛が溢れ出す。
今、実感していること。
自分への愛。
自分をとりまく人、物への愛。
宇宙が存在してくれていることへの愛。
今、このことを感じ始めて、毎日胸の辺りがあたたかい。
じんわりと滲み出るあたたかさ。
それは、私の感じ方すべてを変えた。
子どもが癇癪を起こしたときの苛立ちが、頼もしさへと変わり、
主人が放置した洗濯物への苛立ちが、含み笑いへと変わった。
それは、子ども達や主人から愛をもらえていると実感できようになったから。
「ママ、今日も大好きだよ」と息子が言ってくれる瞬間のぬくもり。
出勤の見送りに、主人と交わす目と目が合う瞬間のぬくもり。
今までと表面的には、起こってる現象は変わらない。けれど、感じ方が変わった。
たとえるなら、
心に真っ赤なふかふかの絨毯をすき間なく敷き詰めた感覚。
何が起こっても、
心のベースがあたたかい。
思えばこの変化は、私が相手に愛を与えられるようになったからこその愛の循環だろう。
私が変わって、愛を与えられるようになったから、相手も愛をくれるようになったんだ。
始めは、こんな風に思っていた。
一見、最もらしい解釈なんだれけど、厳密には違っていた。決定的に違っていた。
私は、もともとあった、相手の愛に気がついただけ。
簡単なことだった。
でも、今まで気がつかなかった。
なぜか。
それは自分への信頼がなかったから。
自分への愛がなかったから。
でも、潜在意識を学んで、自分への信頼が厚くなった。
今、自分が信頼できている。
だから、相手も信頼できるんだ。
そんな私が今日息子達の寝顔を見ながら、ふと思い出したこと。
それは、ずいぶん前に担任したカズ君のこと。
カズ君は養護施設から通園していた。
5歳の男の子。
両親が離婚して、お母さんに引き取られた。
そのお母さんが再婚して、新しいお父さんと一緒に暮らし始めたけど、お母さんと新しいお父さんの間に赤ちゃんが生まれてからカズ君は施設へ預けられた。
それを知って実のお父さんが「引き取ります」と言ってくれたけれど、約束した日、お父さんは迎えに来なかった。
小さな体にこれだけ大きな経験を背負ってカズ君は入園してきた。
表情は能面のようで、誰とも話さない。
無言で友達に乱暴する。
クラスの下駄箱のくつをホースで水浸しにする。
給食をお鍋ごと床に撒き散らす。
ありとあらゆる悪事を起こす。
私はただただ受け止めた。
そしてカズ君のそばに居る。
大好きだよ、と伝え続ける。
その後、共に考える。
目の前の事態をどう解決していくかを。
カズ君は試す。
周りの大人を試す。
考えうるありったけの悪さをして、これでもかこれでもかと試す。
それは「愛が欲しい!」の叫びなんだ。
両親に置いていかれた深い闇。
それでもカズ君は叫ぶ「愛が欲しい!」と。
命いっぱい叫ぶ。
その声を聴こうよ。
「お友達を叩いてはいけません」
「お友達のくつを水浸しにしてはいけません」
「みんなの給食を床にあけてはいけません」
そんなの分かってんだよ!
分かってるけど、やっちゃうんだよ!
その行動でしか愛を確かめられないんだよ!
それくらい背負ってるんだよ!
注意なんてしたって意味がないんだよ!
心の叫びには、全身全霊で向かうんだよ!
それを待ってるんだよ、子ども達は。
そして、その本気が伝わると、憑き物が落ちたかのように落ち着いていく。
カズ君は、これでもかこれでもかと「愛の葛藤」というボールを投げ、納得するまで投げ続け、満足するまで投げ切ったら、投げるのをやめた。
そして、笑い始めた。
それは、自分への信頼を取り戻した笑顔。
自分は愛されていい存在なんだ、と。
自分には愛があるんだ、と。
大人も子どもも人は皆、愛が欲しいんだ。
そして、もともと愛なんだよ、と。
今の私にあの頃のカズ君がもう一度教えてくれた。
カズ君ありがとう。
君は強くて優しい子だったね。
愛を諦めなかった、強くて優しい子…。
ありがとう。