先ず結局一の酉に行き、お加持を受けた。立派な熊手は買えないけれど、お寺で出している熊手のお守りを戴いた。
一の酉の日に、群馬の先祖の墓参に行ったのだが、帰ってくるのが早かったため、酉の市の御祈祷に間に合いそうだったため、
酉の市へ行った。
群馬の墓参りだが、しばらく誰も来てくれなかったようで、草が伸びていたり、花立が汚れていたりと掃除を私が担当し、母が花を担当した。赤城下ろしの風で、線香に火がなかなか着かなかったが、工夫してよく線香全体に火が回るようにし、母と私の分を上手く火をつけることができた。
母方の先祖の墓なのだが、隣に大叔父の墓もあるので、私が子供のころから可愛がってくれたので、こちらにも献香した。
大叔父とは「墓参りは、任せたぞ。」という約束があるので、年に一度か二度が限界だが、墓参りをすることにしている。
大概群馬の私の祖父の実家あたりでは、院号なしの居士、大姉が普通なのだが、大叔父は、熱心な観音様の信者であったこと、ある程度の地位と名誉があったことなどがあって、院号付きの居士の立派なお戒名がついている。
私の父方の祖父にも院号付きの立派なお戒名がついているが、何分わたしが生まれる前に亡くなってしまったものだから、どんな性格の人だったのか、叔父や父に聞いた範囲でしか知ることが出来ない。
父方の大叔父は二人いるが、一人は命からがら帰ってくることが出来たのだが、もう一人は、シベリア抑留で昭和二十三年に亡くなっている。このシベリア抑留で亡くなった大叔父は、院号居士の兵隊さんらしいお戒名がついていて、りっぱなお墓が建っている。
しかし、お墓はあっても、中には遺骨も、遺髪も、遺品も入ってはいない。
今は嫌いな父親だが、私が小さいころからお墓に行っては、『兵隊さんのお墓』と言って手を合わさせた。
そして、「どんなことがあっても戦争はいけないよ。」そういつも教え込まれた。
もう一人の命からがら生きて帰ってきた大叔父夫妻には、とても可愛がってもらった。
お酒が大好きで、父とよく吞んでいたのを思い出す。
父の実家の鎮守様に向かう道の途中にお墓があるので、父の実家に行くとお参りさせてもらっている。
父の長兄がわたしにとってざっくばらんな人で「田舎に行く」というと伯父の家に行くのが当たり前になっている。
父の実家には、お稲荷さんの祠が二つある。家の北西の裏山に祀ってあって、いつ、誰が祀ったのかさっぱり分からないが、庚申様まである。井戸もあるが、トタンで蓋をしてあるだけなので、たまに覗いてみたりするのだが、今でも、水質検査で許可が下りれば飲めるんじゃないかと思うくらいきれいな水をたたえている。
書道の話題
来年の展覧会に向けて、一生懸命作品を書いてはいるのだが、墨を磨るのは結構重労働なのである。
九十九壽を使いきってしまったら、神品があるので、神品で書いてみようと思う。
なかなか濃くなってくれないのが大変である。