最近、書の方が書くのが段々と疲れてきてしまった。

 

相変わらずひどい頭痛はあるし、殊に頸部の痛みときたら、日常生活に支障をきたしているほどである。

 

頭痛の痛みが変わったように感じたが、変わらなかったようである。

 

もう少しで受診日なので、我慢するしかないのだが、しっかし痛いものは痛いのだ。

 

市販の痛み止めではどうにもならないほど痛いのだ。

 

まぁ頭痛と頸部痛の話はおいといて、

 

今月になってからやっと昨日、八月になってはじめてかも知れないお経を上げた。

 

お盆の時も体調が悪く、お経を上げることができなかった。

 

なぜなら昨日は、人生で大事な恩人の月命日だったから。

 

夏になって、数回ほど熱中症になった。

 

ここまで体が弱くはなかったつもりなのだが。

 

話がごちゃごちゃするが、私が霊的に?困っていた時に相談にのって、無事問題解決に導いてくださった真言宗のお坊さんの御命

 

日が今月の上旬にあって、お墓詣りに行ってきた。

 

「近所で村のお寺」っていうお寺なので、母に自転車を借り、線香を持って行ってきた。

 

令和元年に亡くなられていることが分かり、今年でずいぶん時間が経っているんだな。と思い、帰ってきた次第である。

 

今日はこのへんで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最低限のマナー

 

 

かなり久しぶりの投稿になる。

今日は東京盆の最終日になる。我が家では基本的には東京盆で先祖を迎えるが、バタバタしていてやり損ねてしまった。

母と相談した結果、今年は月遅れのお盆で先祖を祀ることになった。

私がお盆の時にやる準備といえば、子供の時からキュウリの馬とナスの牛を作ることだ。

毎年毎年作っているのだが、なぜかなかなか上手く作れない。私の父などは器用に作っていたが、私の手先の不器用さが原因なのかもしれない。

母も歳を取ってきたので、盆花も今年は私が買いに行ってこようと思う。

花屋は少々遠いが、歩いていける距離だし、お供えのお菓子も買わなくてはいけない。

お盆の準備はなかなか大変である。

 

さて、タイトルのように夏は磨った墨が腐りやすい。

今年も何度も腐らせてしまったが、相当量濃く磨ると腐りずらいようである。あとは香料の龍脳を少々入れると良いようだ。

先日、先生の所に伺ったときに、

「半紙の作品、墨が薄いからもっと濃く書いてくるように。」

、とのことで、今回はかなり濃く磨って課題を書いた。先生が認めてくれればいいのだが。

条幅(半切作品)はさすがに磨って書くのは展覧会の時だけだが普段は墨汁。

ちなみに、展覧会の時には、奈良玄林堂の『九十九壽』を頑張って濃く磨る。

関西の方はなじみがあまりない方もいらっしゃる方もいるかもしれないが、『金星墨』という墨汁と、奈良玄林堂の『墨響』を混ぜて少し粘り気が出るので水を足して使っている。

墨も色んなメーカーで値段が上がってしまった。仕方がないことだが、書く為には痛い思いをして買わなくてはいけない。

最近筆を悪くしてしまった。

 

この続きはまた今度。

暑いのでご自愛ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何だかんだ体調不良っだったりで、更新をさぼってしまった。

頭痛と首、背中が痛く、療養中である。

頭痛はいい薬が見つかったが、首と背中の痛みに対応できる薬と出会えていない。

痛いのは辛い。

半紙を臨書していると、「昔ここ昇段試験で書いたよなぁ」というところが出てくる。

今日臨書していてもそんな所が出てきたので、思い出としてちょっと書いておく。

では、また次回。

今年、初めての投稿になる。

今年は高祖父が百回忌、曾祖母が四十七回忌だ。

そして、去年忘れていたが、曽祖父の五十回忌だった。

高祖父までは真言宗だったが、(村にお寺が一軒しかないからそこが真言宗だったらしい)

曽祖父母は教派神道で葬儀をされてしまった。曽祖父は事前に菩提寺と契約していたのだが、大伯父が破談にしてしまった。

いまでもその家は子孫は教派神道で葬儀をしているが、碌なことがない。

結局既成仏教で葬儀をしたのが私の祖父母とその弟夫婦2組だけ。あとはみんな新興宗教に走ってしまって、良い話を聞かない。

教派神道でも何年祭という形でやるが、大叔父の子(私にとっては伯父)は祭祀をしないで偉ぶる厄介な人なので困る。

仕方がないから私の家でお布施を出して日蓮宗のお寺で供養してもらった。

位牌はないが、過去帳があるので、位牌の代わりとして祀り、お経を上げていただいた。

墓参りに行ってもいつも枯れた花が立っていてみすぼらしい限りである。

正直言うとみっともない。

母が昨年墓参りに行きたいと言って電車に揺られて行ったのだが、ひどいものだった。

「うちは神道だから」と言ってろうそくしか上げないが、墓碑をもっとよく見てほしい。線香をあげても間違いがないことに気が付かないのか。正直言って馬鹿である。周りに笑われているのが分からないのだ。

小さいころから伯母を見て「馬鹿な女だなあ」とは思っていたが、いったいどこまで馬鹿なのか。呆れてしまう。

悪口ばかりで申し訳ないが今日はこのへんで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然だが、作品展に出品するのを中止した。

体調がというか、精神的に疲れ切ってしまった為だ。

これは自分の想像以上だった。

 

折角準備もしたのだが、動く気力がなくなってしまった。

半紙の臨書ばかり書いている。

 

先日、急に風邪をひいてしまった。

半切作品を書いていたのだが、突然ものすごい眠気に襲われ、急いで全ての道具を片付けて布団にくるまった。

八度五分ほど最高で熱があっただろうか。

数日間寝込み、いまブログを書いている。

家の者に感染してしまった。

 

さて、七面山から新年の御祈禱の案内をいただいたが、本年はとても大切な方を亡くしたため、自身から喪中とし、御祈禱は遠慮させていただくことにした。

 

家族と相談した結果、鏡餅程度は飾るが、その他飾りつけは一切ナシということになった。

仏壇と神棚掃除をする程度だ。

 

 

とにかく持病の片頭痛がひどい。

願わくばこの片頭痛が治ってもらいたいものだ。

突然襲ってくるので対処のしようがない。

薬が合ってないのか、何なのか、分らないがとにかく頭がスッキリしない。

気分の悪いものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここ数週間、謎の体調不良が続き、病院に行ってみたところ、薬を変えたことが原因だったようで、また数日後、病院へ行く予定になっている。

 

そんなこんなで、春の書の作品展の作品も書くことが出来ず、手ならしに下手くそながら半紙の臨書をしていたというわけである。

 

墨を磨ることはよくよく考えた結果諦め、上等な墨汁を数種混合して作品制作に取り掛かることにしようと思う。

筆は今は兼毫の筆を使っているが、この先どのような展開になっていくか。未知の世界。これが書の楽しみでもあるのだが。

 

こんな時には写経が一番である。

自分は日蓮宗徒だから、般若心経は書写せず、法華経を書写する。

一般的に写経というと般若心経だが。

 

そういえば、七面山敬慎院より新年の祈禱の案内が届いた。いつもなら、奥之院さんからも案内が来るのだが、まだ届いていない。

 

七面大明神には頭が上がらない。名付け親だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先ず結局一の酉に行き、お加持を受けた。立派な熊手は買えないけれど、お寺で出している熊手のお守りを戴いた。

一の酉の日に、群馬の先祖の墓参に行ったのだが、帰ってくるのが早かったため、酉の市の御祈祷に間に合いそうだったため、

酉の市へ行った。

 

群馬の墓参りだが、しばらく誰も来てくれなかったようで、草が伸びていたり、花立が汚れていたりと掃除を私が担当し、母が花を担当した。赤城下ろしの風で、線香に火がなかなか着かなかったが、工夫してよく線香全体に火が回るようにし、母と私の分を上手く火をつけることができた。

母方の先祖の墓なのだが、隣に大叔父の墓もあるので、私が子供のころから可愛がってくれたので、こちらにも献香した。

大叔父とは「墓参りは、任せたぞ。」という約束があるので、年に一度か二度が限界だが、墓参りをすることにしている。

 

大概群馬の私の祖父の実家あたりでは、院号なしの居士、大姉が普通なのだが、大叔父は、熱心な観音様の信者であったこと、ある程度の地位と名誉があったことなどがあって、院号付きの居士の立派なお戒名がついている。

私の父方の祖父にも院号付きの立派なお戒名がついているが、何分わたしが生まれる前に亡くなってしまったものだから、どんな性格の人だったのか、叔父や父に聞いた範囲でしか知ることが出来ない。

父方の大叔父は二人いるが、一人は命からがら帰ってくることが出来たのだが、もう一人は、シベリア抑留で昭和二十三年に亡くなっている。このシベリア抑留で亡くなった大叔父は、院号居士の兵隊さんらしいお戒名がついていて、りっぱなお墓が建っている。

しかし、お墓はあっても、中には遺骨も、遺髪も、遺品も入ってはいない。

今は嫌いな父親だが、私が小さいころからお墓に行っては、『兵隊さんのお墓』と言って手を合わさせた。

そして、「どんなことがあっても戦争はいけないよ。」そういつも教え込まれた。

もう一人の命からがら生きて帰ってきた大叔父夫妻には、とても可愛がってもらった。

お酒が大好きで、父とよく吞んでいたのを思い出す。

父の実家の鎮守様に向かう道の途中にお墓があるので、父の実家に行くとお参りさせてもらっている。

父の長兄がわたしにとってざっくばらんな人で「田舎に行く」というと伯父の家に行くのが当たり前になっている。

父の実家には、お稲荷さんの祠が二つある。家の北西の裏山に祀ってあって、いつ、誰が祀ったのかさっぱり分からないが、庚申様まである。井戸もあるが、トタンで蓋をしてあるだけなので、たまに覗いてみたりするのだが、今でも、水質検査で許可が下りれば飲めるんじゃないかと思うくらいきれいな水をたたえている。

 

 

書道の話題

 

来年の展覧会に向けて、一生懸命作品を書いてはいるのだが、墨を磨るのは結構重労働なのである。

九十九壽を使いきってしまったら、神品があるので、神品で書いてみようと思う。

なかなか濃くなってくれないのが大変である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前にも書いたように思うが、明日は一の酉だ。

私の母方の祖父などは、大黒様と恵比須様を祀り、灯明を供え、お経を上げて家運の隆昌を祈っていた。

どうも祖父の出身地では酉の市では恵比須神を祀るようだ。祖父が亡くなるまで、大事にしていた。

その後、祖母が亡くなり、祖父が拝んでいた大黒様と恵比須様の行き場がなくなってしまったため、我が家にお迎えし、遠壽院で正式に開眼していただいた。

 

私の住んでいる地域でも酉の市はあるが、祀っている神様は妙見様である。

熊手やだるまを売る店が立ち並ぶ。

私は欲はかきたくないので、一番小さいだるまを買って帰ってくる。

熊手は置くところがないので買わない。

寺社の破魔矢さえ置くところがないのだ。

神棚はあるのだが・・・。

 

酉の市で思い出したが、浅草の三社祭で有名な浅草神社の境内に被官稲荷神社というお稲荷さんがある。大変霊験顕著である。

 

浅草の酉の市でのお土産は、なんといっても『切山椒』である。赤、緑、白の三色の餅菓子だ。

酒の飲めない私にとって、とても美味い。

ぜひお求めあれ。

 

鎌倉の杉本寺に護摩の祈禱を頼んだ。色々と行き詰ってしまい、私の父方の先祖が参拝した寺院のひとつでもあり、私も何度もお参りさせていただいている縁で、観音様にお願いしようと思ったのだ。

宗派は違えど、佛様は同じと私は思っているので。

 

 

書道の話題

 

新しい墨汁が昨今発売されたようである。

私も墨汁は決った物しか使わないが、墨に関しては、『磨る派』なのである。

稽古も安価なものを磨って使っているし、展覧会ともなれば、結構するのだが上等な墨を磨って書く。

最近は淡墨作品が減ってしまって濃墨ではっきりと書く風潮があるようだから、濃い目に磨るのだが、どうしても薄く見えてしまう。

あと、わたしは馴れ馴れしい字は書かないように気をつけている。見ていて、ベタベタする感触がイヤなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行きたいけれど、残念ながら金銭的に行けない場所がある。そう、七面山だ。

現金書留で御祈禱やお札、お守り、護符をお願いするほかないのだ。

御祈禱はそうそう頼まないが、護符をお願いすることはある。

御祈禱は新年、大祭くらいなものである。

また余裕ができたらいきたいな、七面山。

もうすぐ酉の市である。

ことしは一の酉が11日、二の酉が23日である。

浅草のお酉さまは規模が大きく、混雑するので、わたしは、千葉県は市川市中山の法華経寺の酉の市に出向くことにしている。

御祈禱を受けて、お寺で出している熊手のお守りと、火伏のお札をいただき、一番小さいだるまを買って帰ってくる。

小規模だが、ゆっくりじっくり選べるので、こちらのほうが私の性に合っている。

我が家のお酉様文化は、祖父が始めたようである。祀る神様は違うのだが、祖父は恵比須様、私は妙見様なのである。

祖父が大事にしていた恵比須様のご尊像があるので、もちろん、丁寧にお祀りするが、どうも祀る神様は土地柄それぞれちがうようである。

一の酉に行けたら行くし、行けなかったら二の酉に行こうと思う。