上山春平
神々の体系
深層文化の試掘
中公新書
はしがき
私は、二十代のある日、かねてから親しんでいた古事記の神々が、たとえば、オリオン座や大熊座の星たちのように、神像の夜空にくっきりとえがかれた描線に沿って、それぞれの位置を占めるのを観た。それは、第二次大戦の終末期のことであった。
戦線から書斎にもどった私は、しばらく、その着想にとらえられて、古事記からの抜き書をつくったり、記紀の研究書を読みあさったりしたのだが、やがて、戦後の混沌のなかで自らの思想的な立場を確立するための懸命のいとなみに没入する過程で、いつとはなしに古事記の神々から遠ざかってしまった。二十数年の歳月を経て、ふたたびその神々とめぐりあうように至った経緯について、きわめて抽象的に語ることを許していただけるならば、はじめに倫理と歴史の問題に集中していた私の関心が、歴史と価値の領域に次第に傾いてきて、歴史と価値のかかわりを深層文化論の観点からとらえるようになり、こうした関心の推移が、ひとたび遠ざかっていた古事記の神神との再会の機縁となった、といったぐあいに語ることができる。
「深層文化論」の観点については、三年まえに中公新書の一冊としてまとめられた編著『照葉樹林文化』のはじめの部分に書いたことがあるので、方法の問題に関心のある読者には、参照していただきたい。その本の「はしがき」に、「私たちの祖先が使った石器や土器などが、新しいものから古いものへと層をなして地下に埋もれている姿は、私たちの今日の文化の深層に、祖先たちの文化が層をなして潜在している姿を象徴するものと言えるのではあるまいか。深層の文化は、石器や土器のようにたんなる過去の遺物ではなく、現在のなかに生きてはたらく力をもっている。」と書いた。『照葉樹林文化』では、考察の対象を縄文文化にしぼってみたのだが、本書では、奈良・平安時代の王朝文化に焦点を移してみた。古事記の神々と再会することになったのは、古事記が奈良時代初頭の産物であり、王朝文化の背景をなす公的な価値体系にかかわる基本文献として、日本書紀とともに、考察の中心にすえられることになったからである。
ふつうには、奈良朝から平安朝にかけての時期は、律令時代と摂関時代とにわけられる習わしになっているが、私はその時期を、藤原レジームの前期と後期としてとらえ、古事記や日本書紀を、そのレジームの始祖たちが、大宝律令などの律令の制定を核として推進した創業の大プランの一環とみる。
こうして、かつて天然の夜空の星として仰ぎ見た古事記の神々が、一定のデザインに従って配置されたプラネタリウムの星たちとしてとらえなおされることになる。悠久の歴史の中に生まれ来たり滅び去った日本の神々と、記紀の神代の巻に登場する神々とのあいだには、夜空の星たちとプラネタリウムの星たちとのあいだに見られるような見事な対応はないにしても、やはり何らかの対応が認められないわけではあるまい。しかし、そこのところの追求は、この本では残された課題とされている。その意味で、この本は、半ば築かれたアーチのような未完の様相を示しているといえよう。
この本は、中央公論社の雑誌『歴史と人物』に、同誌編集長の粕谷一希氏のすすめにより、一昨年の末から五回にわたって連載された論文をまとめたものである。そのとおりの通しのタイトルを書名とし、各回のタイトルを各章の題名とした。初回の末尾に付した続稿の展望を削除したほかは、小さなミスを訂正したくらいで、ほとんど手を加えていない。連載初回の末尾に記しておいたように、記紀の制作主体を藤原レジームの始祖たちの一人である藤原不比等(ふひと)とみる仮説は、梅原猛氏との討論の過程で成熟したものであった。深く謝意を表したい。それぞれの専門の立場から御教示をあおいだ点が少なくなかった。この場をかりて、御礼を申しのべたい。
一九七二年六月
上山春平
本文は本でね。
神々の体系
深層文化の試掘
中公新書
はしがき
私は、二十代のある日、かねてから親しんでいた古事記の神々が、たとえば、オリオン座や大熊座の星たちのように、神像の夜空にくっきりとえがかれた描線に沿って、それぞれの位置を占めるのを観た。それは、第二次大戦の終末期のことであった。
戦線から書斎にもどった私は、しばらく、その着想にとらえられて、古事記からの抜き書をつくったり、記紀の研究書を読みあさったりしたのだが、やがて、戦後の混沌のなかで自らの思想的な立場を確立するための懸命のいとなみに没入する過程で、いつとはなしに古事記の神々から遠ざかってしまった。二十数年の歳月を経て、ふたたびその神々とめぐりあうように至った経緯について、きわめて抽象的に語ることを許していただけるならば、はじめに倫理と歴史の問題に集中していた私の関心が、歴史と価値の領域に次第に傾いてきて、歴史と価値のかかわりを深層文化論の観点からとらえるようになり、こうした関心の推移が、ひとたび遠ざかっていた古事記の神神との再会の機縁となった、といったぐあいに語ることができる。
「深層文化論」の観点については、三年まえに中公新書の一冊としてまとめられた編著『照葉樹林文化』のはじめの部分に書いたことがあるので、方法の問題に関心のある読者には、参照していただきたい。その本の「はしがき」に、「私たちの祖先が使った石器や土器などが、新しいものから古いものへと層をなして地下に埋もれている姿は、私たちの今日の文化の深層に、祖先たちの文化が層をなして潜在している姿を象徴するものと言えるのではあるまいか。深層の文化は、石器や土器のようにたんなる過去の遺物ではなく、現在のなかに生きてはたらく力をもっている。」と書いた。『照葉樹林文化』では、考察の対象を縄文文化にしぼってみたのだが、本書では、奈良・平安時代の王朝文化に焦点を移してみた。古事記の神々と再会することになったのは、古事記が奈良時代初頭の産物であり、王朝文化の背景をなす公的な価値体系にかかわる基本文献として、日本書紀とともに、考察の中心にすえられることになったからである。
ふつうには、奈良朝から平安朝にかけての時期は、律令時代と摂関時代とにわけられる習わしになっているが、私はその時期を、藤原レジームの前期と後期としてとらえ、古事記や日本書紀を、そのレジームの始祖たちが、大宝律令などの律令の制定を核として推進した創業の大プランの一環とみる。
こうして、かつて天然の夜空の星として仰ぎ見た古事記の神々が、一定のデザインに従って配置されたプラネタリウムの星たちとしてとらえなおされることになる。悠久の歴史の中に生まれ来たり滅び去った日本の神々と、記紀の神代の巻に登場する神々とのあいだには、夜空の星たちとプラネタリウムの星たちとのあいだに見られるような見事な対応はないにしても、やはり何らかの対応が認められないわけではあるまい。しかし、そこのところの追求は、この本では残された課題とされている。その意味で、この本は、半ば築かれたアーチのような未完の様相を示しているといえよう。
この本は、中央公論社の雑誌『歴史と人物』に、同誌編集長の粕谷一希氏のすすめにより、一昨年の末から五回にわたって連載された論文をまとめたものである。そのとおりの通しのタイトルを書名とし、各回のタイトルを各章の題名とした。初回の末尾に付した続稿の展望を削除したほかは、小さなミスを訂正したくらいで、ほとんど手を加えていない。連載初回の末尾に記しておいたように、記紀の制作主体を藤原レジームの始祖たちの一人である藤原不比等(ふひと)とみる仮説は、梅原猛氏との討論の過程で成熟したものであった。深く謝意を表したい。それぞれの専門の立場から御教示をあおいだ点が少なくなかった。この場をかりて、御礼を申しのべたい。
一九七二年六月
上山春平
本文は本でね。