夫が台所に立って
食器を洗ってくれると助かります。
これは本音ですが
実は心の奥にはさらなる本音が~(^^;;
夫が食器を洗ってくれて嬉しいのは
私に他にもやることがたくさんあってバタバタとしているとき限定です。そのときは本当に助かります。
しかし
私も忙しくなくて
夫と同じように手が空いてるときは
別の気持ちが湧いてきます(^^;;
夫がしてくれる食器洗いが
例えば30分かかるとします。
私ならそれを半分の時間で出来ます。
何千回と洗っているんだから当たり前ですね。
そう、ここがポイントなのです。
時間‼︎
私が15分で終わる食器洗いを
夫は不慣れなので30分かかることになります。
私がやると15分で終わるので本来なら15分後に私は休めるのですが、夫がやってくれた場合は30分後になるわけです。
そして私の手が空いている場合は、夫が洗い物の間は私は違う仕事に30分を使わなくちゃなぁと思ってしまうので、嬉しくありません。(もちろん私だけ休んでもオッケーなんですよ(^^;;ただ自分だけ休んだら悪いと思った場合を想定しての話です)
では、どういう風に私が忙しくないときに手伝ってくれたら嬉しいのか?というと
それは、夫が15分で出来て、いつも私が気になっているけど、なかなかそこまでは手が回らないところを見つけてやって欲しいというのが本音です^_-☆
例えば玄関の鏡の上の方とか
私が磨く場合はワザワザ椅子が必要だから面倒なんですよね(笑)
そういう
痒いところにちょっと手がとどく夫になって欲しいのです。まっ、やってって言えば簡単なことなんですが、自発的に気づくことを見守り中です。
理想は、60歳で
『手伝う』という言葉のいらない
積極的な共同生活を愉しめて『男』と『女』の役割として根付いいる空気感に潜む縛りを外していきたいと思います^_-☆
女性は結婚することが当たり前で
子どもを産んで育てることが当たり前で
嫁としてとか
妻としてとか
そして
男性も
男として
夫としてとか
つまりは男と女の違いや在り方を
疑いもなく送ってきたけれど
50を過ぎたら、『仲良く暮らす』をベースにして
自分たちのオリジナルな後半人生を
枠に捉われずに色々考えてトライするのが必要と思うようになりました。
当たり前に世間の価値観を疑わずに前半人生を送っていたように思っていたけど、気持ちのどこかでは、
ずっと違和感を持っていたようです。
100人百通りと思っていたようです。
自分たちらしく仲良く暮らしていく。
それには
家事の分担というより
それぞれが積極的に暮らしを楽しみながら一緒に
生活するイメージが私はよいなぁと思います。
2人だけのちいさな世界。自由に楽しめる年頃です。
生活すること自体が生きる楽しみなんじゃないかと。
身の回りのことを誰かにお世話になるより
自分で暮らすことを楽しめるのが
ベテランアダルトの幸せだと私は思います。
