絶望名人カフカの人生論/飛鳥新社

¥1,500
Amazon.co.jp
チェコ出身のドイツ語作家。
プラハのユダヤ人の家庭に生まれたという、
フランツ・カフカの本は『城』だけ読んだことがあった。
だらだら、「たどり着かない」と、ダラダラと、
ひたすらダラダラと書かれていて、読み終わって、
あーやっと終わった・・
と思った実感があり、私にはさっぱり分からなかった。
アンサイクロペディアに載ってたカフカの紹介文が
面白かった。
『本当はヒッソリしていたかったけど余計なことしいな
友人・ブロートのために死後勝手に作品も改ざん・発表され、
20世紀最大の作家とまで評されることになった人』
というように書かれていて。
そういうのによると、元々『城』は発表するつもりでは
なかったらしい。『変身』他、いくつかの作品は生前発表
したようだ。
村上春樹氏の06年カフカ賞受賞の言葉、
「カフカ賞をいただけて感謝いたします。
フランツ・カフカは私が最も好きな作家の一人です。
彼の作品を最初に読んだのは15歳の時で「城」でした。
本当に素晴らしい本で衝撃を受けました。
カフカが友人に宛てた手紙より
One should read only those books that bite and sting. . .
a book must be the axe for the frozen sea inside us.
ぼくは、自分を咬んだり刺したりするような本だけを読むべきだと思う。
本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。
この言葉は私の書く本を正確に定義付けています。」
カフカの言葉****************
自分を信じて、磨かない
幸福になるための、完璧な方法が一つだけある。
それは、自己のなかにある確固たるものを信じ、
しかもそれを磨くための努力をしないことである。
****************************
日本で一番最初にカフカを翻訳したのは、
中島敦という小説家である。
『山月記』李徴という男が虎になる話
「己(おれ)は詩によって名を成そうと想いながら、
進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に
努めたりすることをしなかった」
「己(おのれ)の珠(たま)に非(あら)ざることを
惧(おそ)れるが故に、敢て刻苦(こっく)して
磨こうともせず」
「益々己の内なる臆病な自尊心を飼い太らせる結果になった」
「この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」
・・・・
「虎と成り果てた今、己(おれ)は漸くそれに気がついた。
それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔いを感じる。」
「己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いた
がために、堂々たる詩歌となった者が幾らでもいるのだ。」
こういう心理を、心理学では「セルフ・ハンディキャッピング」
と言う。自分にハンデを与えることで、失敗したときに自尊心
が傷つかないようにする、という心理です。才能があると信じて、
でもその才能を伸ばす努力をしなければ、失敗した場合にも
「努力しなかったから」と言い訳がたつので、自尊心が傷つかずに
すみます。また、もし成功すれば、「努力しなかったのにスゴイ」
ということになります。どっちに転んでもトクな訳です。
身近なところでは、試験の前日に、つい部屋の片付けとか、勉強
以外のことをしたくなるのもセルフ・ハンディキャッピングです。
大切な仕事の前日につい深酒したり、夜更しをしてしまったり
するのもそうです。
-------絶望名人の本より。
ああ・・
最近このブログも本当にセルフ・ハンディキャッピング
であることだ。

今、めっちゃカフカや・・。(?)
しかし、カフカ風に言うと「幸福になるための、完璧な方法」
だと言うのである。
きっと、そんな風に、子供たちも
「勉強しなさい!」と言ってくる先生・お父さんお母さんに、
言い訳すればよいのだろう。
悲しいときには悲しい音楽を
1.まず最初は悲しい音楽に浸る(アリストテレス『同質の原理)
2・その後で、楽しい音楽を聴く(ピュタゴラス『異質への転導』)
の順番が、立ち直るために良いらしい。
カフカの作品は1の悲しい音楽のような役割を果たし、
心が辛い時にその気持ちに寄り添ってくれ、
自分の辛い気持ちをよく理解してくれて、一緒に泣いてくれるような作用を持つ、という人もいる。
「カフカはもはや断じて追い越すことのできないものを書いた。
・・この世紀の数少ない偉大な、完成した作品を彼は書いたのである。」
(ノーベル賞文学賞作家エリアス・カネッティ)
「フランツ・カフカが存在しなかったとしたら、
現代文学はかなり違ったものになっていたはずだ」
(安倍公房)
「カフカとはひとつの巨大な美的革命そのものです。
芸術的奇跡そのものです」(ミラン・クンデラ)
「ひとが別様に書くことができると理解させてくれたのは
カフカだった」(ガルシアマルケス)
「現代の、数少ない、最大の作家の日一人である」(サルトル)
「リルケのような詩人たち、あるいはトマス・マンのような小説家たちも、
カフカに比すれば・・石膏の聖人像みたいなものだ」
(ナボコフ)
「カフカは現代で最も重要な作家だと思う。彼が書いたことを抜きに今を生きることはできない」(映画監督ウディ・アレン)
カフカが友人に宛てた手紙
「一体何のためにぼくらは本を読むのか?
君が言うように、幸福になるためか?
やれやれ、本なんかなくたって、
ぼくらは同じように幸福でいられるだろう。
いいかい、必要な本とは、この上なく苦しく辛い
不幸のように、自分よりも愛していた人の師のように、
すべての人から引き離されて森に追放されたときのように、
自殺のように、ぼくらに作用うする本のことだ。
本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧で
なければならない。」
---------------------------------
カフカは、新鮮な空気を吸うために、冬の一番寒いときでも、
開いた窓のそばで寝ます。
さらに全身を新鮮な空気にさらすために、しばしば裸になって
体操します。
暖房は空気を汚すので、いっさい禁止。喫煙なんて、とんでもないことです。
アルコール類はもちろん、コーヒーやお茶も飲まないようにしていました。刺激物だからです。しかし、その結果、健康になれたかと言うと、結核で40歳で亡くなっています。
必要最低限しか口に入れなかったため、痩せていたそうですが、
家族友人知り合いから離れて旅先の保養所でくつろいで安心しているときには肉を食べ、そして太りさえしていたらしい。
彼の食に対する拒絶は、あきらかに彼の現実に対する拒絶・不安がもとになっています。
---------------------------------
なんとなく見えてくるカフカの人物像が
天邪鬼ぶり、ひねくれぶり、逸脱した変人ぶり、
妥協なき孤高の天才そして哲人、
俯瞰的に見ると、「えっ!太ってるし!」
とユーモラスな部分も見えてくる。
ネガティブの匠、というのだろうか。
自身でも書いていたという、
「心配がだんだんふくれあがっていって、
最後には本当の病気にかかってしまうのです。」
40歳でこの世を去っている。
1924年6月3日,
結核によりオーストリア クロスターノイブルクにて没。
カフカが影響を受けたという人物
◎影響を受けたもの
フローベール、ドストエフスキー、ディッケンズ、ニーチェ、トーマス・マン、
ホーフマンスタール、グリルパルツァー、ロベルト・ヴァルザー、クライスト、ゲーテ
◎影響を与えたもの
サルトル、カミュ、ロブ=グリエ、ガルシア=マルケス、サリンジャー、フィリップ・ロス、
ペーター・ヴァイス、アンナ・カヴァン、アラスター・グレイ、ミラン・クンデラ、ボフミル・フラバル、
J・M・クッツェー、アッペルフェルド、オースター、ゼーバルト、残雪、安部公房、
小島信夫、倉橋由美子、村上春樹
殆ど分からないけど(^_^;)
ニーチエとカフカ、そしてカミュへの系譜はなんとなく絶対的なものを感じた。
カフカが、すべての価値観を積極的に否定する能動的ニヒリズム、
『神は死んだ』のニーチェに影響されていた、と言う。
当時ニーチェ(1844~1900)がいたEuropaが
キリスト教一色であり社会が退廃的やったから、
自分で「超人」、神を否定し強者の道徳を打ち立てるという価値観の創造を謳った人。
最後は孤独に精神病で亡くなる。とにもかくにもrockで孤独だったニーチェ。
『異邦人L'Étranger』カミュ
カミュが提示したのは消費社会における若者の無感覚さ、
(アウトサイダーであり、「ゲームに参加しない」男。)
そのずれと「きしみ」だと言われる。
葛藤、虚脱、苦悩、決意、混迷、孤独。
カミュは、グルニエっていう哲学者、作家に中学の時に教わっていたみたい。
グルニエの『孤島』良いらしい。最期にグルニエに手紙出してたらしい。
カフカが提示した「不条理を語る能力」をカミュは「きしみ」というかたちで表した、とも。
あの、絶望と異端を肯定しそしてその実、究極のrockであるという系譜は近代西洋文学に無くてはならないシーンだと思った。
松岡正剛さんの『千夜一冊』を参考に自分なりの
解釈をしてみたが、ドイツ語とか、France語で読みたいな・・
とふつふつと湧いて来る渇望。
「異邦人」とエトランゼって、全然語感が違う。
これで日本語で読んでる、って、ある意味勿体無いお化け出そう。
言葉って綺麗だな、と思う。音に出してみても、書いてみても。
ソシュールを読んでみたい、というのは一貫して
あるんだけど、全然そういう域に達してない。
松岡正剛さんの『千夜一冊』
でカフカが影響を受けたと言う、
トマスマンの箇所を読んでいた時。
::::::::::::::::::::::::::::
トマスマンの息子で自殺した文学者クラウス・マンが『転回点―マン家の人々』という恐ろしい大著をのこしていて、ぼくはかつてこれを読んで、ヨーロッパにおけるドイツ人という血のものすごさに戦慄したものだ。とうていアジアにおける日本人の比ではない。
::::::::::::::::::::::::::::
という箇所があった。
カフカをカフカたらしめたものは、
ここに書かれている、アジアにおける日本人の比ではないという、
「Europaにおける戦慄を覚えるドイツ人の血のもの凄さ」
というものに非常に深い関係があるんじゃないかと思った。
今凄く関心を持っているThemaです。
カフカはユダヤ人。
:::::::::::::::::::::::::::::
オーストリア・ハンガリー二重帝国。
これがカフカが生まれたプラハを支配していた帝国の名である。そこは多数のチェコ人を少数のドイツ人が支配し、カフカがその血をうけついでいたユダヤ人は、その二重構造から截然とはずされていた。
カフカの『城』では、主人公と城との「場所」、「存在」、その構造をすら描かない。
そこは、構造が描けない場所であり、そこにいるKは構造を問えない存在なのである。
これはまさしくカフカが生まれた国のようであり、カフカがうけついだ血のようであり、カフカが就職した労働災害保険協会のようである。
[ 千夜一冊より ]
::::::::::::::::::::::::::::::
ジェイムズ・ジョイス、
マルセル・プルーストと並び20世紀の文学を代表する作家と見なされているカフカ。
私個人の思うところとしては、
文学において、
「陰徳あれば陽報あり」
(陰陽、光と陰、positiveとnegativeという対比の意味合いでつかう場合)
の陰徳の部分をひたすら探求した人、求道家、
陰徳第一人者のような印象を受けた。
そして陽報、の部分は全世界の人々を通して受け取られ、
反映されているのではないだろうか。今、この時も。