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ひたすらのブログ

ためしに始めて見たのです♪

以前、気になるブログ記事をコピーしていたのを見つけた。

 

そこには

 

日々、私たちは生活していますが、見えない糸を下りながら生きていると感じます。

糸を織るのは、今の自分の「生活行為」と「思い」により、自動的に織られています。

すると、織物ができるに従って、その織られた分が現実となりコノ世に出現して「来ます」。

 

省略

 

また逆からの視点では、自分自身が織ったものは、どうしても体験しないといけない、済まない、

 

それは 今の自分が体験するべきだった という面もあります。

 

もし、それが自分にとって嫌なことであれば、その中でも何とか頑張るという今を今から織りこんでいくのです。

そうしますと、自分が今までに織った分に重ね織りされて、複層的な織物が経験として残っていきます。

そして、このようにして自分の善意で織りつづけたならば、それは美しい凸凹のある織物が完成していきます。

 

こんな意地悪、あんな妨害、この世では本当にいろいろと起こる世界です。

それでも、自分の良心に沿って生きましょう。そうしますと、その織物は鏡となり、織るための材料(この世の出来事)を提供した人々に反射します。

悪い材料を提供して人には、それ相応な反射が起こり、良い材料には良い反射が起こります。

 

終わり。

 

この記事は2013年に書かれたもの。

そうだー、忘れていたよ。 

そうだった。

これを読んだときに本当にそうなのかもしれないと思った出来事があった。

以前の職場で明らかに私を嫌悪している女性がいて、私より少し遅れて入ってきた人がいた。

ベテランの女性パートさんのお気になりとなったその女性。

私が辞める時もお世話になりましたの一言もなかったけど気にしなかった。

働いているときいろいろあった。

あきらかに対抗してくる気配。

受けてたとうなんて思わなかった。

先輩女性も私に対して、その女性と同じ雰囲気を醸し出していた。

私は反射させようなんて思いは微塵もなかった。この記事を読んだのはその後だから。

でも、二人にはそれぞれ 病気とか流産とかの出来事が起こった。

 

私のせい? 私はそんなことを望んでなんかない。

でも、心の奥底でそんな風に思った自分がいるんじゃないか・・・。

怖くなった。

 

今の私に忘れかけていたこと。

良心に沿って生きること。

何度注意しても清潔を保たない職場の人の言動にイライラしていた。

 

拾うように声をかけると「やってくれてもいいのに」とぼそっとつぶやく彼女。

 

驚きと怒りが込み上げてきた。

ダメダメ。

イライラは身の破滅。

 

忘れていたこと思いだせてよかった。

 

 

 

 

図書館から 嵐の中の日本人シリーズ あかね書房 「吉田松陰」を先日借りてきた。

 

一条 明 著。

 

数週間前に横須賀の安房口神社に行った。 その足で叶神社にも。

 

パンフレットに 佐久間象山と吉田松陰が黒船を見に来た時に泊った宿の碑がある場所が目に留まっていたから 吉田松陰の本を手に取ったのかもしれない。

 

黒船に密航、安政の大獄で斬首、松下村塾を開いていて、幕末の志士を多く輩出した。

 

松陰についてはざっとそのくらいの知識のみしかなかった私。

 

借りた本は子供向けなのでとても読みやすい。

あとがきには一条明さんの松陰にたいする愛情を感じる。

 

「図々しい逃げ方かもしれないが、それでも私は、光り輝くような純粋な魂で、日本の将来を憂い、愛した、吉田松陰という人間がいたことを、若い諸君に知ってもらいだけで満足である。そして、出来得るならば諸君の成長過程の中で、もう一度、諸君の目で見直して、考え、評価してもらえるならば、こんなに嬉しいことはない。」

 

と書かれている。 松陰にたいする評価はまちまちなのだという。

 

昨日、 世田谷区にある 松陰神社に行ってみた。

都会のいいところはすぐに向かえるところ♪

 

今月10月27日は松陰の命日にあたる。

毎月27日は松陰のスタンプ入りのご朱印がいただけるとのこと。

今月の27、28日は幕末維新祭りが駅から神社までの商店街を含んで行われるみたい。

 

松陰は二通の遺書を残していた。一通は萩の高杉、久坂、久保に連名送られたが、幕末の激しい時代の波に消えたと本にはある。

もう一通は獄中の篤志・親切な志の人、 信用していた 沼崎吉五郎にあずけた。 松陰が刑死してから十数年も過ぎた明治9年、当時、神奈川県の権県令になっていた 野村和作、改名して 野村靖のもとに沼崎が現れ、他の遺墨とともに渡したそうです。

 

松陰に君が出獄したら、だれでもいいから長州人に渡して欲しいと頼まれていたとのこと。

沼崎は三宅島にながされても松陰との約束を忘れずに遺書を保存していたみたい、松陰が見込んだ人ですね。

 

世田谷の松陰神社には 野村靖夫墓所も遺言により残されていました。

 

わたしは あの時代の方が日本中を駆け巡り 外国の脅威からこの国を守らんとする強い意思を持ち続ける多くの偉人がいてこその今の暮らしなんだとつくづく思いました。

 

社務所の方と少しお話させていただきました。

松陰が亡くなったことで松下村塾の皆が奮起して時代がうごいたということも言えるのではという言葉に納得・・・。

 

長野松代出身の佐久間象山との出会いも松陰の行動に現れていたんだなァと本を読んで思いました。

 

余計なことを話さなければ刑死にならずともすんだかもしれない・・・・。

 

松陰の遺体を受け取りに行った時 伊藤博文は19歳だったそうです。

 

黒船密航に失敗した松陰と最初の弟子、金子重輔。 重輔の墓は萩にあるそうですが 下田八幡神社の境内に碑があるそうです。

 

獄中でも講義をする松陰とは・・・。

いまのこの時代の日本をどう見ているのでしょうか・・・・・。

 

 

 左腕が前からしびれたり、痛みがあった。

 

おとといから肩のいたみが始まり 徐々に強くなっていった。

 

これはまずい・・・・

 

パート先の交代依頼をしないと一緒に働く人に迷惑がかかってしまう。

 

有難く交代してくれる方がいてホッとする。

 

しかし、同時に痛みがつよくなる。

 

月曜日に整形外科へ。

 

レントゲン撮影後、リン酸カルシゥムが肩の辺りに付着しているとのこと。

 

いわゆる 石灰。

 

あー またか。

 

数年前にも左手首にできたことがある。

 

手首から赤ちゃんが生まれるかと思うくらいの激痛を思いだす。

 

今日の朝方も痛みで起きた。

 

蒸留水器を稼働してお水つくろうかな・・・