人は必死に神に問えば、必ず教えてくれる。

 

色々な教え方がある。

 

その中でも、私の場合は夢により教えられることが多い。

 

今朝も見た夢は、アイホンが見えなくなり、必死に探すと直したパネルが破損したものが見つかった。

 

修理以前のもの、そして古い眼鏡が見つかった。

 

夢から覚め、考えると今日家内に送った離婚届が到着する予定である。

 

つまり家内との関係は、元に戻らないとの意味。

 

そして古い眼鏡は、以前の自分を見つめよ。

 

つまり過去の自分に戻るとの意である。

 

神とは直接教えてくれない。

 

夢の暗示から説く方法を強いる。

 

これを悟りと呼ぶ。

 

悟りとは霊感より上であるむ。

 

見えた人間は、考えなくても楽だ。

 

それよりもあれこれ思案の挙句悟る。

 

これが研ぎ澄まされると、悟心を磨くことになる。

 

どんな高度なお示しも、瞬時に悟れる。

 

その時点で、霊能者と格段の差が生まれる。

 

神の人への想いは、神の心、即ち神が人により良くなってほしい。

 

その想いを汲むことである。

 

そんな人こそ、神は霊能者より尊いと認めてくれるのだ。