さる未曾有の國難から半年、亡國の賊らは滅亡への暴走を加速するのみ。敢えて我皇國に劇薬
ヒトラー一党を時限的に冥界より招聘してはどうか。
異論は多々あろうかと、では問わんそれに優劣する方策有らば提示実行されたし。

「一条」カッコいいですね・・・。


苗字(名字)好きですか?


恐れ多くも天皇陛下は苗字をお持ちですか?(はっきり言って愚問以下、戦前なら不敬罪かも・・・)

先帝「昭和天皇」は崩御の後贈られる「追御贈称」で「苗字」では無いことを小生が説明する必要等

今更ないでませう(苦笑)

ましてや今上天皇陛下を「平成天皇陛下」などと言するは「逆賊以下の無恥(無知)な方々・・・」

苗字とは帝から「どのような臣下かの識別の為にあるのでした・・・確か?つまり官職を有する・それに準ずる

方々に与えられるモノらしく・・・(苦笑)」


よく、源氏名(げんじな・飲食業関係で使用されますな・・・)と言いますが・・・。

「源」は平安時代に皇族から臣籍降下(家臣に下る)した一族です。

小生は本姓は「平」でやはり平安時代に臣籍降下致しました「桓武平氏」。


知ってましたか?江戸時代は苗字(名字)使用に制限があり、国民の90パーセント以上が「苗字すら無い(名乗る身分じゃ無いから必要無し)、(苗字は有るが)武家から帰農して公式の場で呼称できない」状況だったことを(苦笑)。


御維新(明治維新・昭和維新じゃありませんぜ・・・(苦笑)に伴う戸籍制度に基づいて「今堂々と?皆様「苗字(名字)」があるのですぜ(大爆笑)!


皆様、本来持てなかった戸籍名字ならびに(有ればですが本姓)を大事にしませう。


因みに「一条」は藤原氏(北家公家殿上家)の苗字ですな(苦笑)


冷静なる客観的な反論大歓迎!


平 眞太郎 秀眞拝

里見氏と徳川四天王大多喜城主本多氏に想いを馳せる。


かの「南総里見八犬伝」や後北条氏らとの国府台合戦で勇名(有名)をはせた里見氏とは清和源氏・新田義俊が上野國里見郷を本貫地として「里見」と称し後に上総・安房一帯に勢力を張って戦国大名化していく訳ですな。

さて、本多氏と里見氏が絡み始めるお話になりますが、天下統一へと驀進する豊臣秀吉による小田原後北条攻めがキーワードと私は事象を俯瞰分析いたしました。

里見氏は近隣国の常陸佐竹氏(清和源氏新羅三郎義光流嫡流であり、平安期には長兄である(八幡太郎)亡き後の跡目(つまり河内源氏の棟梁やら清和源氏長者)を次兄の加茂二郎と争い滅ぼした位の名族中の名族(結局、源氏の嫡流は源義朝の嫡子頼朝公が継承して鎌倉幕府を開闢するわけですが)との同族意識もあり名族意識はバリバリで、理由の中心そんなプライドだけでは無いでしょうが「秀吉」の「小田原参陣」に遅参して、それでも名族故に取り潰しは避けられたものの「安房9万石(1600年関が原合戦の功績により12万石後加増※注1、)となった訳ですな。

ちょうど同じ時期に坂東(関東)一帯に所領を移させられた、自称清和源氏新田支族得川(徳川・とくがわ)氏が上総も所領なった訳ですね。

さて、徳川家康(没後:東照大権現様)公ご自身も新しい版図(領地)ですから近隣大名には軍事的警戒を怠る訳には参りません(多分)。さて、房総半島の先端に「9万石」とは言いながら名族の戦国大名

が領地を持ち戦国乱世を生き抜いてきた兵馬を抱えている、最近まで領地だった上総国内には帰農したり新領主に服する里見恩顧の「見えない残存兵力」がある訳です。

さて、その様な最前線地帯を家康公の直属領にして20万石挌の直属軍なんて配置したら、里見氏は

警戒して「関係は良くなる訳ないでしょう」。しかし、抑えの徳川家内大名で有能な家臣を配置しませんと。そこで、四天王の本多氏がパワーバランスをやや有利に保持出来る10万石で大多喜城主となった

のではないでしょうか?

結局里見氏との国境紛争も起こらず、関が原では徳川方に属し3万石を加増(※注、1)されますが、もともと地政学的に邪魔でしょうから1614年改易(豊臣氏滅亡の少し前ですな)されて完全滅亡と相成った訳です。

合戦は勝たなければ意味がありませんし、また戦略的な大戦を計画する際に「国境紛争やら」「小戦」

や「無用な敵を増やす等」は愚かじゃありませんか。

とすれば、安房里見氏の運命は豊臣秀吉の小田原後北条攻略作戦が机上で練られ始めた段階で

方向性が決まっていたのでしょうか・・・。

さすが、徳川家康公と徳川四天王・・・。(了)