教育技術~役に立つかな?

教育技術~役に立つかな?

 やさぐれた教師人生だったけれど、残したら面白がる人がいるかも、と思う教育技術を書き残します。

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  教室の掲示物についての技術のうち、最もよく聞くのは

 

「前には(授業のときに目に入って気が散る原因になるようなものは)原則として貼らない。」

 

  である。どうもこの原則を知らずに飾られた教室も増えているのかもしれない、と感じる。

 

A先生のクラス。集中することがすごく苦手な生徒がいるため前にはほとんど掲示物はない。

B先生のクラス。時間割、時程表など自分の考えでいくつか例外として貼っている。

 

 つまり、原則を知っているものだけが原則を破れる。工夫もできる。原則を知らないと貼れば貼るほど雑然としてくるだけだ。知っていればより自由な掲示物をつくれるはず。「原則を知る」というのは「自由を獲得する」ことのために必要なことだ。

 

 「より美しい、のために破ってはならない規則などない。」ソナタ形式の最高の使い手の一人ベートーヴェンの言葉。(私の記憶です。不正確ならご指摘ください)

 

 次回はもう一つ掲示物について。「貼るときにはいつはがすかを考えておく」です。

 

 

   まず、1「だまれ、下賤の者。」、2「めくらめっぽう」について

 

 1,2については「変更(省略)は正しい」という意見と「正しくない」という意見の両方があるだろうと思います。しかし私の関心は別です。私の問題意識は「教科書編集者は授業者に原文からの変更を知らせるべきではないか」というものなのです。つまり、変更の是非を考える権利を編集者が独占するのは適切ではない、ということです。

 

 実習生を担当すると、事前の打ち合わせで教材を決めた後私はこう言うことにしています。

 

 「ほかの指導教官は言わないと思うが、教科書の原文を(妥当と思われる)原文(大学や公共の図書館にある全集でよいと思う)と照らし合わせてほしい。私が担当になったので運が悪いとあきらめてやってほしい。」

 「仮名や漢字については無視して、それ以外の変更がないかチェックしてほしい。」

 「全集との違いを授業に反映するかしないかは授業者(あなた)の自由です。でも『ここは原文とは違う』と知ったうえで授業をしてほしい。」と。

 

 私が以前使っていた指導書には「教育的配慮から変更している箇所がある」というようなことが書いてありました。変更箇所も理由も書いてありませんでした。指導書の筆者は「授業者は変更について判断する能力も必要もない。」と考えているのかもしれません。「授業者は信頼されていないのだろうか?」と心配になります。

 

 中学生にとって、書店でも公共の図書館でも学校の図書室でさえ「走れメロス」を読むのは容易です。教科書のような変更をしてある本はそこにはほとんどありません。(私はほとんど見つけられませんでした。)生徒が昼休みに図書室で手に取った本をぱらぱらとめくり、「あれっ?」と気づく。明日あっても全然おかしくないでしょう?

 

 そういう場合に生徒が授業者に質問に来ることも十分考えられます。「知らなかった」ではちょっと辛いというか、かっこ悪いというか。教えるものとして責任ある態度とは言いにくいですよね。やはり、授業者は知っておくべきです。

 

 また、(これは私の意見ですが)保護者にも知る権利があり、生徒本人は(生徒こそ)教育を受ける権利主体として「変更がある」のは当然知っておく権利があります。

 

 まあ、そこまでいくと、やり方も難しいし異論も多いかと思いますので、取り敢えず「変更は指導書に明記すべし。」とお願いしたいと思っている日々です。

 

 長くなってしまいましたが、実は私は3の方に思い入れがあるので、次回もお読みいただければ幸いです。

 やっと中学校国語新教科書を見た。まずは「走れメロス」について

 

「走れメロス」(全5社2年生)の本文について

 

  原文との違い(仮名遣い、漢字の使い方を除く)

 

1 省略 P195L1(ページ数は新光村図書)

 

   原文は「『黙れ、下賤の者。』」

 

    「『黙れ。』」 (光村図書、三省堂、東京書籍)  

    「『黙れ、下賤の者。』」 (学校図書、教育出版)

 

2 省略 P199L19

 

  原文は「めくらめっぽう獅子奮迅の」

  

    「獅子奮迅の」 (全社)

 

3 省略 作品末

 

  原文は 「(古伝説と、シルレルの詩から。)」

 

    省略 (光村図書、東京書籍、学校図書、三省堂)

    「(古伝説と、シルレルの詩から。)」 (教育出版)

 

 

 以上の3点で去年度と違うのは、3の、作品末の「(古伝説とシルレルの詩から)」について、

昨年度までは全社省略されていたのが教育出版のみ原文通りになったことである。

 

 次回に1,2について、次々回に3について述べたい。

 

 

 

 

 

正しい「前に倣え」

 

 うんと昔小学校の先生に教えてもらったこと。もしかしたら中学校とは違って小学校ではどの先生でもやっていることかもしれない。

 

 「前に倣え!」と一気に言ってしまうのをよく聞いた。そうではなく

 

「前に」と「倣え」の間に、一息置く。「前に・倣え!」

 

 「前に」によって、子どもに「あ、前に倣えだ。」と伝える。次が「倣え」だとわかるから、「倣え」での一瞬の揃い方がよりきれいに揃う、というわけだ。それがただ「倣え」ではなく「前に倣え」と2文節になっている理由である。要するに「よーい・どん」なのである。

 

 号令には(「前に・倣え」のように)2文節のものが他にもある。「回れ・右」「右向け・右」「左向け・左」「前へ・進め」などである。「・」に間を置くことにより前半で次の行動を予告し後半でスタートの合図をしている。

 

 そう言われてみれば「前に倣え」は「倣え」でもいいわけだし、他も「回れ!」「右!」「左!」でもいいのだ。それをわざわざ2文節にしているのは「予告・合図」のパターンにして行動をそろえようとしているのだ(*)

 

 逆に「気を付け(2文節だが間を置かない)」「なおれ」は予告の必要がない。気を付けている状態での予告なしでの号令は「休め」のみである。逆に休んでいるときの号令は「気を付け」だけであるので、それに集中しておればよい。

 

  あと「足踏み・始め」「前へ・進め」も。「よーい・どん」と同じことだ。

 

 整列や号令は集団行動の一部なのでどこかに発祥の地や体系があるのかもしれない。ご教示いただければ幸いだ。

 

次回はこの「前に倣え」例にして「教育技術のTPO」について述べたい。(*)についても述べたいと思っている。