ネットとかで絡むときや人と接するときに思うんだけど…

多分、自分の弱さを克服した人にも私と同じような気持ちになるって人いるかもしれないけど…

言いたいこと昔は言えなくて言えるようになったけど…

昔から言いたいこと言えていた訳じゃないから

言いたいこと言えても
昔から言える人と後から言えるようになった人と同じにはしてほしくないって思うの。

理由は、言いたいことを昔から言える人は、言いたいことを言えない人の気持ちが分からなくて言いたいこと言えない人に無神経なってしまって酷いこと言ったりとか強めに当たったり強調的になりがちな人が多いと思った…

言いたいことを言えなかった弱さがあるから言いたいこと言えるようになっても自分と同じような言いたいことまだ言えない人には気持ちが分かるから優しくできるけど…
気持ちが分からないから優しく出来ずに何気無く無神経な言葉やそういう人にだけ強い口調で自己主張するような人と同じにはしてほしくないと思った。

自分の言いたいことや意見は持っていてもいろんな理由から言えない人だっているしそれが自分の弱さだとか思ってる人もいると思う。

だからと言ってそういう人達を侮辱するようなこと言わないでほしい。

その努力で言えるようになった人や自分の気持ちを表す手段ができた人もいるのに…

言えない人の気持ちも考えないで自己主張の強い人と同じにはしてほしくない。

私からしてみたら
自己主張が強い人も自分の弱さだと思う。
私も時々、言いたいことをはっきり言ってしまう時があって相手に対して聞く側の受け取る側の気持ちを考えたら思いやりや優しさを足せてない言葉を言ってしまうときがあって自分の弱さだと感じる時がある。

だからはじめから言いたいことをはっきり言ってしまう人一緒にして欲しくない弱い立場の気持ちに気付けないから…

自分より弱い者の人には強気で行く感じ

しかも弱い者そうという先入観でいう決めつけ…そういう先入観が働いてしまうとこが…

どうなの?って思うよね(´・ω・)。

次、自分はいじめられた経験があるから誰かをいじめてた人とかでたまたまそれを知らずに絡んでて話しの流れで
誰かをいじめてた人なんだ…って知ってしまうと
その当事者は私と同じ気持ちなんだと感じてしまう。

とその人と昔だけど誰かをいじめてた人とは関われないと思った。

いじめてた人は、なんかすごく明るい感じで
いじめてた自分を誇りに思ってた人居てムカついたから…(´・ω・`)

そこはやっぱり向き合えなくて…生理的に受け付けなくなる拒否反応かな…それは、逃げなのか?
と自分を無意識に追い込んでしまう。

昔だけど誰かをいじめてた人とは更生している人もいるかもだけど昔、から性格が歪んでていじめてたりしてた人は大人になっても変わらない悪だったりする…悪はそんな簡単には変われない運命だから…。そういう人が多かったから関わりたくないと思ったこと。

いじめられてた側の気持ちは、いつまで経っても記憶は変わらないしずっと覚えてるから。

マイナスなことがプラスになったとしても代償は大きいから心の傷跡から逃れられなくて
ずっと傷付いたものの心の傷は負ったまま…
でもその心の傷を負わせた加害者は…そういうのも覚えてはいないし傷付けた自覚もないもし、いじめが遇ってもその当時の頃の遊び、ゲーム感覚なのだから何も悪びれた感じはないのだ…
いじめを受けた者は、フラッシュバックに苦しめられたりする間
いじめをしていた奴等はそのことさえも忘れて無かったことに或いは、被害妄想じゃね?とか言われてしまう。責任転換…自分が負った傷を被害妄想って言われたくないよね。逆に自分だったら…どうなのよ!!!って思う。逆に自分に置き換えて考えたら私みたいに傷付く癖に他人事で言えるのは当事者の気持ちだったらと自分に置き換えて考えてないからなのよ。
そういう思いやりが欠けているんだよ。
他人事って楽でいいよね。なんとも残酷なのでしょうか。

どんなに気休め程度の言葉をかけられても…

心に刺さった傷は負ったまま…。

残酷…。
本当に何を言っても無駄な人には自分が呆れられてるから何も言ってこないんだとか
何も言わないんだ…とか思ってもないと思う、

「何を言っても無駄」と
相手側にしたら
悟られているからとかも頭にないと思うの…。

本当に、何を言っても無駄な人に何も言わなくなるんじゃなくて正確には、言葉が見付からなくて何も言えないんだよ。
呆れられて…言葉が出てこないだけなんだと思う。
そういう自分の姿に気付けない人はどんどん最低な自分自身から抜け出せなくなり、どんな嫌なことも誰かのせいにしたり、ちゃんと…助言してくれている人が居たとしてもその人に対して「押し付け!!」とか言って勝手に言葉の意味を間違えて否定したりして
自分で自分のこと肯定して悪いとこだと分からないまま長い間失うものを失いすぎてやっと自分を客観的にみることが出来てどんなに自分が愚か者だったか気付くのかもしれない(´・ω・`)。

中には、気付かないまま最後の日を迎える人もいるかもしれない…。

でもその自分自身が気付き、知るまでの間
は…結構長い道程があってその間も、

その自分自身に気づけない間は、誰か、たくさんの多くの自分とは関わりのある人をたくさん自分が自分自身を知らない間…自分が放つ言動や言葉使いで自分が気付かないだけで多くの人を傷付け、精神的な病気を患わせたり、そういう人のせいで苦しむ人間が増えたりするのかもしれない…。

その間、知る予知もしないと思う。
周りの人は…何を言っても無駄だから言わないで放っといても
周りの人が意味もなく耐えて、我慢したりして迷惑がったり嫌な思いする人が増えて必要のないストレスを溜め込み。
そのまま野放しにしていたらまたどんどん新たな被害者として嫌な思いをしたりしてしまうかもしれない。
言っても無駄な人に何を言っても仕方ない…から

って本当にそれでいいのかな?(´・ω・`)

でも、そういう人に
何かを伝えることは、
また同じ心の傷を負うかもしれないということ…
伝えないといけない人は、自分のことを本当は悪いべき点を肯定していろんな人を傷付けているから…それか悪いとは思ってないかもしれない…客観的にこういう視野もあるんだよって思わないだろう。それを教えるときは、伝える分その人と向き合うことが重要になってしまう。
なんて酷なんだろう。

なんか、言葉の辞書があったらいいのに…

でも自分が納得したりしない限り変われないからね(´・ω・)。


自分の考え方や言葉使い方に疑問を解いてみたりするすべがあるなら自分を客観視できたりするかもしれないけど…
自分という在り方を肯定していたら…他者の声なんて聞こえないよね(´・ω・)。





今の世の中、人としての道理を忘れてしまった
人間じゃなくなった

人間の皮を被った、人間の姿をした獣が多くて
人間は…少なくなってきているから…

本当に悪くない人が加害者になり本当に悪い人が善人になる。

そういう世の中で、時代なんだ。

だから私は、僅な人間だから少数派かもしれない。
だから正論を言っても
人間の心を持った人なら分かって貰えるけど
そうじゃない人間だと…
正論を言っても逆上されて逆に文句や暴力を振るわれてしまうんだ。

わざと、被害者ずらして自分の非を認めず人間の皮を被った獣が多いだけだ。

誰も、押し付けたりはしてないのに自身の意見を発言するだけで、押し付けと解釈する激しい被害妄想と独り善がりの思い込みからか、相手を罵倒して悪く言ってしまうって...どんだけと思う。

協調性を持ってれば…そうはならないのに。

誰も争うためには
言っていないのに。

「普通」が通用しない世の中は…本当に生きにくい。


そういう人間は、
自分の主張を強く強調するのだ…

とても厄介者だ。

皆を人間と人として思える時代では、もう終わった....。

そういう人、達に分からせる方法が1つだけあると思うんです。

それは敢えて、
他の人の話しかのように「そういう人どう思う?」とか「どういう風に接してあげたらいいかな?」と聞いてみるんです!

そしたら自分のことを聞かれているとは、まさか…思わないからそういう「嫌な奴が居るんだ…」ってなると思うんです。

自分のことをまさか言われているとは思わないので他人事のように…捉えて厳しいことやキツいことを言うはずです。

大抵の人間がそうですからね。

自分のことではないと思うと人には厳しくなれるんです。

自分のこととなると自分だけはいいんだ!とか開き直ってしまったり、自分は違う!って断言しちゃったり…

それで、人それぞれだからって言われてこういう自分を認めてと言わないばかりの見苦しい言い訳が続くんです。

そういう人間は人に嫌な思いをさせてしまった自覚がないのです。

自分が不愉快に思ったら真っ先に、相手を指摘してきます。自分は指摘するような器ではないのに…なぜ、なんでしょうか?…。

だから、自分よりも先に他人の悪い点を見付けるのです。

そう言われた人間は、きっと思うはずです。

「あなたには言われる筋合いはない。」と…

自己主張し過ぎる頑固者は、自分が気を使われる人間だとは気付かないのです。

「自分はどうなんだろう?」と人に偉そうに言える立場なのだろうか?とは考えたり自分に問い掛けたりはしません。

自分のことは棚にあげているか、自分をよく知らないからです。

自分が相手にストレスを与えている立場とかは思わないのです。

逆に、こう言われるはずです。

「こっちこそ、あなたにそういうこと言われて不愉快な思いをしました!!」っと意地でも自分が悪いとは認めようとはしません。逆に正論が通用する時代が終わったということです。今は人間の皮を被った獣がたくさん居ますからね。


今の時代はそういう時代なのです。