平成24年5月19日



ぼくは海軍機関兵 斎藤兼之助ニコニコ


(これは、講談社から昭和58年に初版が発売されて好評を得、版を重ねた『海軍かまたき出世物語』という父の著作を、講談社さんの了解を得て配信するものです)


1、「志願兵合格」の1



昭和5年6月1日、私は海軍志願兵として横須賀海兵団に入団した。6月というのは私の誕生月で当時17歳、あと3週間ほどで18歳になろうというときだ。海軍機関兵としての私の人生はこうして始まったのである。ニコニコ



 昭和5年といえば、前年に起こったニューヨーク株式大暴落に始まる、世界経済恐慌の影響で、日本も大変な不況にみまわれていたときだ。だから就職するにも職はないという状態で、三食付きで給料ももらえる軍隊への志願者は殺到しており、競争率もかなりの激しさであった。得意げ



 栃木県の貧しい農家のせがれであり、かつ七人兄弟の末っ子でもあった私は、上級学校に行くことなど思いもよらず、高等小学校卒業と同時に、人のつてによって、故郷の地を走る東野鉄道という私鉄会社に入社し、当時は大田原という、城下町の面影の残る駅で働いていた。ぽっぽ1



 したがって無理をして軍隊に入る必要はなかったのだが、そのころ私の勤める駅の前の運送店に、退役した名誉三等下士官殿がいて、時々遊びに来てはしきりに私に海軍士官をけしかけるのである。にひひ



 まことに人の運は、どんなきっかけで変わるか分からないものだ。この名誉三等下士官殿は、私にとってまさしく運命の先導役であったといえる。もっともその彼を恩人と呼んでよいのか、疫病神的誘惑者と呼ぶべきかは、今もって判断がつかないでいる。ニコニコ


 つづく