「応援されること」ってのは素晴らしいことです。
誰も彼もが応援されるわけではなかったりしますし、応援されるだけの何かをしてきた証であるわけでしょうし。
でも、「応援されること」は素晴らしいけれど、「応援すること」の方がもっと素晴らしい気がします。
最近、惜しみなく応援している友人たちの姿を見て、「ああ、素敵だな。」って思いました。「応援すること」って、基本的に無償の愛じゃないですか。見返りを求めず、自分の利益を求めず、ただ相手の幸せを願って応援すること。
優しくされるのは素晴らしいけれど、優しくするのはもっと素晴らしい気がするし、
笑顔をもらえるのは嬉しいけれど、笑顔をあげるのはもっと素晴らしい気もします。
ほんと正直いうとね、以前AKBヲタとか「まじキモい・・・」って思ってましたが、彼らの多くは純粋に応援しているんでしょうね。まさか応援することで「松井珠理奈と付き合える♪」と思っているわけではないでしょう。思っている奴もいるだろうけど。
そう考えると、AKBのファンや、大谷さんの応援に日々球場に通っていたファンや、歌舞伎座に通う人、宝塚劇場に通う人、日産スタジアムに通う人、、、、皆、対象を一生懸命に応援しているんですよね。
「応援する理由?好きだから。」っていうのを超えて、自分に対する利益の為の打算的な思惑が見え隠れすると、「キモい・・・・」ってなってしまいがちですが。もちろん、それが悪いというわけでは全然ありませんが。
相手の幸せの為に応援するって行為は、とっても尊いことだなあ、ってことを改めて思いました。
美しいなあ、って思ったのです。
応援には力がありますね。
応援されると力が出ます。
でも、誰かを応援するのも、誰かを罵倒するのも、全ては自由。
人間、神の力も、悪魔の力も手にしているわけですね。どっちを使うのか、使わないのか、全部自由。
どちらを使いますか?
人間においての無償の愛なら、
母が子を産み落とすその瞬間だけだと思っています。
ただその時でさえ、最初に聞く子の泣き声が見返りなんですね。
そう、見返りを求めることは決して悪いことではない
そんなふうにも思うんです。