今サークルやらゼミやらやってるけど、今後の人生において、結局何人の友達が残るんやろか
俺の思うところの友達は、お互いが気を張らず、本音で何でも言える友達、それでいて、親しきなかにも礼儀ありという琴線を見極められる友達

ま、いわゆる親友やな


一年に一回会うとかでも、続いていくんやったら何も問題ないと思う

一年に一回しか会わんのに頼れる友達やったらいいと思う


なんか、いいたいこと ようわからんけど


今その人といて 友達と思えても、果して 人生の友達と言えるのだろうか


表面的な付き合いは、人間関係を良好に保つには意義があるんやろうけど、 その後を考えると何か空しい


また、自民党は上記でも述べたような官僚主導を上手に利用して、支持者に財政資金を配分したり、保護的な経済規制を維持したりする利益誘導によって、政権を維持してきた経緯がある。

このような「鉄の三角形」が強大に存続してきたのは、派閥の影響力が大いに関係している。

そして、自民党が15年近く続いた要因としては、自民党における機会主義の強化があげられる。機会主義というのは、主義主張を捨てて、権力を固守する原則のことをいう。

自民党は、社会党の主張を受け入れたのである。その主な例として、植民地支配や侵略戦争に対する反省、戦後補償などがある。


はい、適当に書き連ねたので、悪しからず
自民党一党優位体制、いわゆる55年体制は93年の非自民勢力で過半数を獲得した結果、終焉を迎えた。その後、細川連立政権が誕生したが、短命政権に終わり、以後自民党を軸とした政権が15年間続いた。

まず国内的背景を概観していきたい。

55年体制では、自民党の一党優位制を93年までの維持できた要因として、まず国内的には、自民党と社民党の保革対立からの社民党の衰えがあげられる。
戦後の保革対立は、保守の日米強調路線と革新の非武装中立との対立であったが、60年の日米安保条約の修正に伴い、争点が9条に帰結されてしまった経緯がある。

1960年代、社会党は現実路線より、民主主義と平和主義という原理主義を取った。その後も、社会党は「護憲と反安保」にアイデンティティを求め続け、国民意識に反うこととなった。
これに対して、1960年代から80年代にかけて、自民党は長期安定政権を目指して、経済復興、経済成長という国家目標を追求してきた。これはまた、具体的な政策形成は官僚が取り仕切り、政治家の仕事は個別具体的な要求を官僚に取り次ぎ、利益誘導を行うことでもあった。

そして、自民党内には、社会主義に傾倒した再配分主義者と経済界から支持者があった自由主義者のイデオロギー的には対立した政治家が存在していた。
このことは、社会党が政権獲得することを妨げた要因であるといえ、同時に、自民党が長期安定政権を維持できた要因であるともいえる。

また、自民党が長期政権となりえた要因として、利益団体と緊密な関係があった族議員の存在がある。

利益団体には、社会の中にある様々な要求を政治過程の中に伝達・表出するという役割がある。活動としては団体相互間の交渉であり、そこで事態が解決しない場合、団体は政治と関係をもつ。

族議員とは、省庁を基本単位として仕切られた政策分野について、日常的に強い影響力を行使をしている中堅議員の集団である。かれらは、自民党の政権担当の長期化にともない、官僚をしのぐ力を発揮してきた。

自民党の族議員はアクセスポイントとして、官僚制と与党間で力を発揮し、利益団体と行政・政党の交渉に一役を担っていた。各省庁の利害は、族議員によって自民党内に持ち帰られ、自民党政務調査会の調整が図られるようになったのである。